進学塾ソイルができるまで(18)「部活とクラブ活動と私(後編)」

そいる塾長
そいる塾長

どうも、そいる塾長です。

前回の続きです。

昨日、ちょうど”とある先生”と飲んでいて衝撃を受けたんですよね。


現在の塾で採用しているベリタスアカデミー始め数々の有名映像授業に登場するカリスマ講師にして若きIT起業家であるこの先生。以前名古屋でお会いして以来、ついに念願かなって一緒に飲ませて頂きました。

好きなことを仕事にするということの素晴らしさと、想像を絶する困難な道程。改めて教えてもらった気がするのと同時に色々と考えさせられた夜になりました。

このブログは飲みに行く前に書いていたのですが、ちょっとそんな思いを込めて書き足したらとても長くなりました(^_^;)

自分の好きなものに打ち込めばいい

世の中勉強だけじゃない。

そんなことは当然です。どうしても塾屋をやっていると、子どもに「勉強しろ」とばかり言ってる人なんだろうなと思われたり、「学歴社会の申し子」みたいな印象を持たれたりするんですが、そんなことはありません(笑)

どちらかと言えば勉強しかしたことがないという人を嘲笑って生きてきました。それは自分が勉強で一番にはなれなかったからかもしれない。勉強ってサッカーと違って一応前国民参加競技じゃないですか。サッカー以上に勝てるわけ無いっすよね。だから自分は勉強してばかりいたわけじゃないというのをアピールしたいわけです(笑)

でもそれが「真摯に勉強に打ち込んできた人」であれば当然笑うことはできない。私が笑うのは「ママに言われたからお勉強してキマチタ」みたいな人。いるんですよ、大学行くと(笑)

自分で考えてこれが大切だと思うことに打ち込んできた人ならその対象が何であっても笑うことなどできるはずがなく、ただひたすらに尊敬するのみです。

ちゃんと学校行って、勉強して良い大学行って、いいとこに就職してなんて・・・

みたいなことを、インフルエンサーたちが言うわけですよね。

「自由に自分のやりたいことだけやって生きていけ!」みたいな。そりゃそのほうがいい。

でもちょっとくらいはそっちのほうが茨の道である可能性についても語ろうよとは思うのです。いや、実際語っていらっしゃるのですがそこをちゃんと聞いていない人が多いのですよね。特に子どもたちには届いていない気がするのです。

こういう第一線で活躍する人たちは誰もが吐き気や恐怖とともに目が冷めて一日中仕事のことを考えながら這いつくばってそのポジションまで来たわけですよ。それは尋常じゃないレベル。ブラック企業なんて笑ってしまうレベルで。だからこそ大きなことを成し遂げたわけで。

でもそれは自分で考えて選んだ道だからできること。好きなことだから頑張れることであることは間違いないと言えます。

何も考えずに良い大学出て、良い会社に就職するほうがよっぽど簡単だと思うのです。

それは自分で考える必要性が少なくて済むから。

けれど大学を出ても意味がないなどというのは間違っているかなと。大学になんて行かなくても学べることが山ほどあるとともに、大学でしか学べないことも山ほどあるでしょう。

それに大きな会社に行かないとできない仕事なんてのも山ほどある。

要はそれが自分が大切だと考えて選んだ道なら当然良いわけです。

つまりこういったインフルエンサーの方々がおっしゃりたいのは、誰かが決めた価値観に従う必要はないよということなんだと思うんです。勉強して良い大学へ行って、一流企業に就職するのが最適だとする固定概念を捨てなさいと。その辺自分でしっかり考えろと。誰かが敷いたレールに乗ってしまっていては駄目なんだよと。

ただ子どもたちはそう受け取っているようには思えないのが怖いところなんですが…。

となると、問題は子どもたちが何を選び取るかというのが問題なのではなく、大人たちがそれに変な制限をかけてしまうことでしょう。レールを敷こうとばかりする大人が価値観を押し付けるのが最大の問題だなと。

だから勉強か、それとも部活かなんていう話をするときに一概には言えないわけです。

ある意味打ち込めるものが、勉強はもちろん部活やクラブ活動である必要性すら微塵もない。自分の好きなことに打ち込んでいれば良いわけです。

わけのわからない価値観を押し付け、疲弊していくだけの子どもたちは生み出してはいけないなと。これは勉強でも部活やクラブ活動でも同じ。

そういう意味で、勉強、そして部活やクラブ活動から得られるものがいかなるものであっても、いずれにせよ相手が子どもである限り、やはり与える側に圧倒的に責任があると思うのです。

結局現代の歪な学歴社会の構造も、ブラック部活の問題も、子どもたちに原因があるわけではなく、大人の方に問題があるわけです。言うならば社会システムの問題。

だから我々塾屋も、一方的な価値観を生徒に押し付けてはいけないなと。

もちろん勉強ができるようにするのが仕事ですが、多様な価値観を大切にできる塾でありたいとは思うのです。だって自分の子どもに学校や塾がそんなことをしてきたら嫌ですし。自分の子供にしたくないことを人様の子にしたくもない。

なんで勉強ができるようになったほうが良いのかについては明確なビジョンを持ち、それを子どもたちに示せるようにしなければいけないなと思うのです。

勉強はサッカーで言えばひたすら小中高と基礎のパス練習ばかりさせられるようなもんで、いっこうに楽しい試合が訪れない。それが訪れるのは遥か先のこと。だからこそ勉強はやりたいことではなくて、やらなければいけないことになりがち。

だからこそその必要性はしっかり説明をしてあげないといけない。

もちろんこれは勉強を教えるときと同じく、「答え」を教えるのではなく考える道具を与えたり、その使い方を教えたりするということ。自分で考えない、考える力がない子どもたちに、自分で考える事ができるように持っていくのがあくまで自分の仕事だなと。

私が見せることができる限りの世界を生徒たちに見せること。知らないまま判断させることはしたくない。「勉強なんてしたって何の役にも立たない」という思い込みを解きたい。

そのためには自分自身の世界を広げるために努力を続けていかなければいけないとも思うのです。

 

部活やクラブ活動に「意味」はあるのか

何も得られないことに思考停止で身を捧げるのだけはやめて欲しい。という思いはあります。

大人の趣味なら散財しても、時間を浪費してもストレス解消のためとか言えば何だって許されるかもしれない(笑)

しかし小中高なんて時代はそんなこと言ってられない成長期。

だから「何か」を得て欲しい。

「何かを得る」というのは「将来役立つ」とか、「仕事につながる」ということばかりではないのです。そんなことをいい出したら5教科の勉強も部活も「意味」がないものになる可能性が。

極論を言えば遊ぶことだって重要。「意味」のあることしかしないという人生はつまらない。

私にとって部活は遊びだった。部活は楽しかったし、学校の授業が終わって部室へ行く時間はウキウキしていた。でも何かを部活から得たと思っている。そういう意味で「意味」はあったわけです。少なくともそう思っている。

これは当然「意味」というものをどう定義するかという問題。

それが示すものが「実利」だとしたらスポーツ系の部活やクラブ活動は、プロ選手になったりそのスポーツに関わる仕事にでもつかない限り、その「意味」を見出すことはできないでしょう。

ですが「意味」のあることしかしない人生なんて怖い。そんなこと言ってたら生まれてきた意味を考え出して死ぬしかなくなるぞと(笑)

しかし一方で「実利」がなければ生きていけないのも事実。

そちらにずっと目を瞑っておいて、急に受験期になったら進学という「実利」をなんとかしようと考えだすのって違うなと。

もしも部活を「実利」目的以外でやっているのだとしたら、部活以外の時間を部活のために使うのだけはやめたほうがいい。

部活をしないという選択肢もあるけれど、部活以外の時間を自分のために使えばそれで十分事足りるわけです。

つまり両立するということです。

しかしこれは非常に難しい。あくまで理想。これができれば2つの大切な「何か」を得られるのかもしれない。しかしそんなに簡単なことではないのです。

だからこそ、安易な文武両道という言葉で子どもに丸投げはだめでしょうと。

確かにそれができる子たちも存在する。ですが圧倒的に出来ていない子の方が多いではないですか。だからこそ丸投げではなく、両立させたいならば両立ができるような仕組みを大人たちが作ってあげないと。

大人たちの仕事は価値観を押し付けることではなく、機会や環境の創出。これだと思うんですよね。

 

部活は免罪符ではない

やらなければいけないことから逃げるために、やりたいことだけをやるのは絶対ダメ

子どもたちがこれをやりだしたら、ぼけーっと何も考えずネットで動画を見ている子たちと何も変わらない。身につくのは体力だけ。「ぼけーっと」というのは意味がないということ。

いや動画をみるのが将来の役に立つなら大いに結構ではないですか。

某さかなくんが子供の頃にもし某YouTubeがあったとして、お母さんが「この子幼いことからずーっと魚の動画ばかり見ていたの!」なんて言ったらみんなそれを批判なんてしないでしょう。

大人はそこに「意味」を見出すから。

同じようにぼけーっと部活していることを大人はあまり批判しない。

そこに「意味」があると思っているのは大人だから。

そんな風にさせてしまっているのは周囲の大人たちなんですよね。これはもしかしたら社会システムとも言うべきレベル。

子どもたちに部活の「意味」を考えろなんて言うのは酷。

子どもたちは楽しいからやっているだけなんですよ。もしくは何かやったほうが良い、やらなければいけないと信じ込んでいる。でもそれは自分で考えてやっていることではない。私だって言ってみれば大人になってからそこに後付で「意味」を付加しているだけ。

なんなら楽しくなくてもやってる子すらいる。そういう子たちは本来(大人たちの定義によると)自分のためにやっている部活やクラブ活動を免罪符にして、やらなければいけないことをやらない言い訳に用いるようになる。

結局、部活が忙しくて勉強ができない、授業中に疲れて寝てしまうなんて話を沢山聞かされるわけですが、そういう子たちの多くが夜は残された僅かな体力を振り絞ってスマホをいじっているわけです。

本来であれば忙しくて隙間の時間も勉強をすべきである。朝練があるから早く寝るべきである。

というのは無視して、勉強は部活が忙しくてできない、授業中に寝てしまうのは部活のせい、という理屈になるわけです。

こうなったらおしまいですね。

真摯に一つのことに打ち込むことを何かの免罪符にしてはいけない

やらなければいけないことは人によって違うでしょうが、それを犠牲にしてまでやるべきことかをしっかり考えないと。

そして自分が今打ち込んでいることの「意味」を自分たちで考えないと。間違ってもその大人たちの付与した「意味」が「免罪符」になってはいけない。

仕事に休憩は必要。だけど休憩は仕事ではないし、休憩のために仕事をするんじゃない。ということです。

そのためにも一つの世界しか見えないように自分の子どもを育てるのは嫌だなと。やりたいことには打ち込ませてあげたいけど、やらないといけないこともしっかり見えるように。

やりたいことをするためには、やらなければいけないことがある。

自分の子どもや、塾で出会う子どもたちは、もしかしたら何かの分野で天才的な才能を発揮するかもしれない。逆に何の才能もない自分と同じ凡人かもしれない。

凡人であればより一層やらなければいけないことは増えるわけです。そこをクリアしなければやりたいことにはたどり着けない。

だからやりたいことだけやっている学生生活が本当に子どもたちのためになるのかは考えなければいけないなとは思うのです。

やりたいことが見えていなければ、やりたくないことをやるというのがどれほど難しいのかも理解した上で。

いずれにせよ親が子どもの世界を閉じてしまって、親の力で子どもを引きずり回すことはしたくない。

 

ブラック部活についてちょっとだけ

「やんちゃな子は部活でもやらせとかんと遊び回って困る」的なやつね。

昔のヤンキードラマみたいに、抑えきれない若者のエネルギーを発散させるために部活に打ち込ませるみたいな。

たしかにそうなのかもしれない。スポーツや文化活動があることで、子どもたちをコントロールしやすくなるのかもしれない。私の知識では判断できませんが、否定はしません。

しかしこれって子どもがうるさいからテレビ垂れ流して黙らせるという、子育てに大変な親なら誰もがやってしまう手段と同じですよね。

もちろん自分も子育てしていて、こうでもしなければ家事の一つもできないことくらい分かっていますよ。

ですが、これは教育ではないよね。教育だと思ってやっているなら悪手ですよ。

こんな手法に教育的な意味づけしてごまかした結果が今のブラック部活ではないのかと。

結果、部活に力を使い果たして他には何もできない子を量産。部活で学べることは確かに学べたとしてもそれ以外に学ばなければいけないことはどうするんだと。

部活を休みにしてもどうせ遊び回ってろくなことがないから。

だとすればお前は部活で何を学ばせとるんだと。部活やる前から何も成長させられていないということにはなりませんかと。

部活をさせておかなければコントロールできないからといって、部活で電池切れにさせているだけあって実際にコントロールなんてできていない事例が散見される。

もしも「部活やって楽しかった」という思い出しか残らないなら、指導者は安全配慮と健康管理だけでよい。あとは自分たちで運営させたほうがよっぽど子どもたちのためになる。

部活はいつか終わる。私は部活を引退するとき、夢から覚めたような気分でした。あの時間は特権だったと。そしてもう二度とその時間は戻ってこないことを知った。

そして現実世界に放り込まれるわけです。そのときに「何もない」、ということだけはないようにしなければ。ちゃんと夢から醒めるときが来ること、そして夢から醒めたあとの世界をちゃんと理解しておくことが必要だと思うのです。

これはもちろん指導者側にも問題があるけれど、親にも問題がある。託児所じゃないんですよ、学校は。これがクラブに変わっても同じ。さらに悪化するのではないかという思いすらありますね。

塾も同じです。もし今後、部活の時間が減ったら塾に通わせようとする親は増えるでしょうね。まさに託児所。そしてそれを狙った商売が繁盛する。

結局子どもたちが悪いんじゃないんです。

大人の責任なんですよね。子供の可能性を潰しているのは大人。

そんな塾にはしたくないなと。

 

今日はこのへんで。

 

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