今日11月3日は結婚記念日なのでたまには「愛」について語ろうか。

そいる塾長
そいる塾長

どうも、そいる塾長です。

 

完全なる余談です。が、一応中高生のみなさんへのメッセージは込めたつもりです。勉強より大事なお話もあるってことですね。(といっても昨年の同じ日に書いた記事を少し今年バージョンに書き直しただけですが^^;)

 

☑11月3日は日本国憲法公布日であり私の結婚記念日です。

本日11月3日は文化の日。

1946年(昭和21年)11月3日は日本国憲法が公布された日です。ちょうどこの時期公民分野の真っ最中の中3はがっつり社会のテスト範囲ですね。テストで出るのでしっかり覚えておきましょう。

そして11月3日は私の結婚記念日でもあります(笑)

中3に公民の日本国憲法のところを教えている時に冗談でいったら、11月3日を憲法公布よりも私の結婚記念日だと覚えてしまいました。一人くらいテストで書いてきたら面白いのになと。いや惚れる。

とりあえず今日はお勉強のお話は置いておいて「愛」について語ってみましょう。

 

視野を広げて多様な価値観に触れよう

私が指導していた中学生の子たち。意外と本を読んでくれてます。読書は苦手って子も映画は良く見に行っていたり。押しつけがましいのは嫌ですが、やはり若いうちに色々本を読んだり映画を見ておいてほしいなと思います。

多様な価値観に触れてほしいんですよね。もちろんちょいと難しいテーマも大事ですが、そうでなくともいいと思うんです。流行りの恋愛ものでもいい。

そこにはあなたとは違う人生があるから。

ということで今回映画か本で悩みましたが、今日は映画を一つ紹介したいなと思います。

 

映画:グッド・ウィル・ハンティング

名作ですね。間違いなく私の好きな映画トップ5に入るであろうこの映画。1997年私が青春真っ盛りの時期に公開された映画です。もう何度見たか分からないのですが、見るたびに新たに気づくことがあるんですよ。そしてそのたび自分も少しは成長したんだなと実感したり。

この映画だけで授業がしたいくらいです。SOILではやりたい放題できるので日曜日あたりにそんな授業をしてみたいなと。多分小中高で感じることが全く違うでしょうから全学年ごちゃまぜで。

そもそもこの映画において恋愛は一要素に過ぎず、もっと語りたいテーマはいっぱいありますし、紹介したい名言もいっぱいあるのですがそのなかでも今日は私の恋愛観・人生観に刺さった映画中の名言に絞ってご紹介しますね。あくまで結婚記念日ブログなので(笑)

 

ちょっとだけ作品のあらすじを(ネタばれは控えめに…)

 

主人公ウィル(マット・デイモン)は脚本中ではサヴァン症候群という設定ではないかと言われており、発達障害特有の生き辛さを感じています。幼いころに受けた両親からの虐待により典型的な2次障害を併発している感じ。とにかく人を信用しない。そして人に拒まれるのを極度に怖がっているんです。

しかしサヴァン症候群の方にときおりみられる天才的な頭脳を有しており、学校にも通っておらず昼間は工事現場でバイトしながら悪友たちと酒ばっかり飲んでるんですが、その一方で夜間図書館に足しげく通い本を読んで一人黙々と勉強していたりするんです。

数学から哲学から文学、生物学・・・とありとあらゆるジャンルの本を。ハーバード大生とのやり取りのシーンはたまりませんね。…いかん、脱線しそうになるので今日は止めておきます。

で、ときどき夜間にマサチューセッツ工科大学の清掃員のバイトもしていたりするんですが、ある日、誰もいない大学の廊下の黒板に書かれた学生が誰も解けないような数学の課題をこっそり解いてしまうんですね。(上の画像ですね)

それがきっかけで二人の先生と出会うことになります。

☑ 一人目がマサチューセッツ工科大学数学科教授のジェラルド・ランボー(ステラン・スカルスガルド)
☑ 二人目が心理学者のショーン・マグワイア(ロビン・ウィリアムズ)

この二人の対比関係がまたいいんですよね。幼いころに見たときはこのランボー教授が嫌いでね…。でも大人になってから見ると何でしょう…ランボー教授の気持ちが肺腑にしみる感じで…いかんいかんまた脱線しかけました。

あくまで今日は「愛」について!あらすじはこの辺にしておきましょう。ここからウィルがどう成長していくかという物語ということです。

ということでいよいよ私にささった愛をテーマにした映画中の名言をご紹介します。作中、ウィルは一人の素敵な女性と出会います。

しかしやっぱりなかなかうまく行かない( ;∀;)

ということで悩むウィルにショーン先生が言い放った名言。

 

ショーン・マグワイア先生から主人公ウィルへの名言

「君は僕に朝、愛する女性の隣で起きるという、心からの幸せがどんなものか教えることができない」ショーン・マグワイア

「ウィルがどんなに頭がよくても、人を本当に愛したことがないウィルには、愛する女性の隣で起きることがどれだけ幸福なことかは教えることができない」ということですね。

ウィルは確かに天才なんですが、しかしそれはあくまで本で学んだだけのこと。実際自分で経験したことはないわけでそんなウィルの言葉には意味がないというわけです。これは恋愛だけの話にとどまらずウィルに対しショーン先生が気付かせたい最も大切なこと。

映画を通じてショーンは日常の幸せについて語っています。愛妻家だったショーンは妻を亡くしているんですが、妻が病気になったときには仕事をやめ妻の介護に専念しており、「自分が経験したことしか本物にならない」と語るショーンの言葉には説得力がります。だからこそウィルに『愛』という名の日常の幸せを教えられるのかもしれませんし、気づいてほしいのでしょうね。

この辺の価値観が私に刺さったんですよね。ちょうど二十歳のころかな。

一方で、そんなショーンの価値観との対立項としてジェラルド・ランボー教授が描かれています。

ウィルの天才的な頭脳に気づいたランボー教授は、ウィルを探し、彼が働く大学の清掃管理室へ赴いてウィルについて尋ねますが、教えることはできないと断られる。

そこで、ランボー教授の助手が、「この方はランボー教授だぞ」と偉そうに言いますが、清掃管理のおじさんは、横に座ってる掃除のおっちゃんを指して「こいつはヘイズ教授だ」と応酬し、退散させてしまいます。マサチューセッツの教授なんて、掃除のおっちゃんにとっては取るに足らない存在だということ。

ランボー教授が、執着している栄光と権威なんてのはそんな価値しかないっていう皮肉。この対比された人生観をどうとらえるかは見ている人の価値観次第ですかね。

私も1回目に見たときと2回目に見たときで全く変わりました。ランボー教授こそ、この映画唯一の常識人ととらえるか、それとも最も哀れな登場人物ととらえるか・・・。

ここをどう捉えるかでこの映画の最後のシーンをどう感じるかが180度変わるんだろうなーって思います。

えーっ!信じられない!って人はランボー側。でかしたっウィル!って思う人はショーン側。

どっちが正解とか言うつもりは毛頭ありませんが、私はショーン側の人生を歩みたいと思ったわけです。よく聞かれるなんでそんな大学を出てまで塾なんて?という質問に対する答えはこれで十分かと。

今日は結婚記念日。開校準備で今は本当に嫁さんには心配や苦労をかけているわけです。結婚記念日だからといってどこか特別なレストランを予約もしていません( ;∀;)


家族でちょっと車で広い公園に遊びに行って子どもたちと一緒に晩御飯を食べ、風呂に入った、それだけです。

今日も家族で普段と何ら変わらない”幸せな日常”を過ごしました。

この幸せな日常。これを守るためならなんだってできるなと今は思うわけです。そしてそのために自分は生きているなと。こういう価値観は教科書で学んだわけじゃない。誰かに教えてもらったわけでもない。だからといって映画や本で学んだというのも違うかなと。

あくまで自分が経験しなければわからないこと。そもそもこういうのはみんな一緒じゃないし、一緒じゃなくていい。自分だって全く違う価値観を持っていた時期があったのです。

でも自分が実際になにかそういうことを経験した際にこれを「幸福だ」と認識できたのは、もしかしたら映画や本でそういう価値観に触れていたからかもしれません。だからこそ気づけたという感じでしょうか。

逆に本を読んだり映画を見たりしていたときにはなんとも思わなかったことが、何年ものちに人生で様々なことを経験したことにより、改めて認識できるようになることもあるわけです。初めて触れたときはくそつまらなかったものがこの年になって読み直すと号泣してしまう作品ってありますから。

だから学生のみなさんには名作と言われながら何が面白いのかわからなかったとしたらブックオフに持っていくのではなくどこかにしっかりしまっておいてください。そして何かの節目にまた読んでみましょう。そのときには何かが”刺さる”かもしれませんよ。もちろん国語力も受験勉強で鍛えましょうね!(突如勉強の話をぶっこんでおきます笑)

とくに今回この作品で私にグサッと刺さったのはこの「幸せな日常」というもの。

私は今この幸せな日常こそ「愛」だと思っています。

しかしこの作品中そんな価値観の対極に置かれているのがランボー教授(笑)

ただ私的にはこのランボー教授もなんか嫌いになれないんです。むしろ好き。愛すべき存在。

泥水の中、地面を這いつくばって必死にもがき、あがいている人は美しい

これもまた、様々な本を読む中で生まれた私の価値観なのですが、キラキラしたものよりこういったものに美しさを感じてしまうんですよね。この作品の登場人物はみんなそう。全員なにか弱点がある。でもそんな自分と闘おうと必死でもがいている姿がとても美しいなと。

しかしそんな中超エリートキャラのランボー君は異質。キラキラ系ですね。少なくとも初めて映画を見たときはそう思ったわけです。ですが今となってはこのランボー君がもっとももがいているキャラなのかなと思うようになってしまいました。これはおそらく私のほうがいろいろ変化したからかなと。成長したのかどうかはわかりませんが。

この映画の登場人物で最弱キャラだなと。清掃夫のおっちゃんよりも断然弱いわけで。

なんか自分の弱さを隠そうと必死じゃないですか。

ウィルの才能に嫉妬し、逆にウィルにこてんぱにされて超凹んでる教授の顔みるとすんごい”美しいな”と感じてしまう。ある意味こんな弱い人はショーン先生よりも親近感を感じてしまうんです。ある意味人間味というか人間くささを感じるんですよね。

エリートって結構こういう脆さを持った人が多い気がします。なんか自分の弱さを隠すために高級車にのったり、学歴ひけらかしたり、いっつもマウンティングしてたり、とにかく虚勢をはってる人が多い気が。普段高級な寿司屋にしか行ったことがない人が、回転寿司に行ってみたいけど仕組みがわからなくて怖い的な。(どんな例えだ・・・)

ランボー教授が好きすぎて我慢できずやっぱり脱線してしまいましたね。このあとこのテーマで1万字くらい書けそうですが今日は結婚記念日なのでやめておきます(笑)

 

てことで最後にもひとつだけ「愛」を叫ぶ名セリフを。

「人々は変な癖を欠点と言うけど、違うんだ。いいことなんだよ」ショーン・マグワイア

これもショーン先生の名言。

ショーン先生の亡き妻が、寝ている最中にオナラをしたっていうショーン先生の思い出話をする中で出てきた名言です。あまりにも大きな音だったためオナラをした彼女自身も目を覚ましてしまったっていう。

奥さんや、彼女がオナラするなんて許せないとかいう人がいますが、私は正反対。目の前でオナラしてくれないような人と四六時中一緒にいるなんて地獄です。堂々とおならをしてくれる女性でないとお付き合いはできないし、結婚なんて不可能。

・・

・・・

そうですね、論理的にこの文章を読むと私の愛する奥様は堂々とオナラをすることは容易に推論できますね。しかし同時に私が如何に奥さんを愛しているかも伝わるかと思います(笑)

・・・

となりで嫁がこんな顔してますが…

 

・・・

ま、結婚記念日なんで、せっかくなんでなんか回りくどい奥さんへのラブレターということで。(#^^#)エヘ

 

中高生の皆さんへ

(あ、お酒は二十歳になってからね)

こうやって映画を見たり本を読んだりすれば多様な価値観に触れられる。この映画を見ていなかったら彼氏彼女のオナラが原因でその彼氏彼女とお別れすることになってしまったかもしれませんが、もしかするとそんなこともこうやって映画一つで変わるかも(笑)

多様な価値観に触れるということは自分の人生を豊かにしてくれますよ。人は自分の人生しか歩めませんからね。全く違う世代、違う世界、違う価値観を持った人の内面に触れる機会をぜひ若いうちに。

しかし同時に中高生のみなさんは恋をしましょうね!

大丈夫!それでもちゃんと勉強やってりゃ志望校なんて合格できる。少なくとも私はそういう子を育てたい!「東大行くまで恋愛禁止」みたいなのではなく(ビクビク)そもそもそういう系の人はうちの塾には来ないから何も怖くないゾ(笑)

せっかくなんで学校だろうが、部活だろうが、塾だろうが、受験だろうが青春しようぜ、中高生!

いくら本を読んでも映画を見ても自分が実際に経験することはそれ以上の価値があるとショーン先生は言っているわけです。教科書に載っていないことはこの時期だからこそ体験しておかないと。

 

ということで最後は無理やりそれっぽい内容にまとめてみましたが、つまらない内容を長々と読んでくれた方ありがとうございます。(5678字、はたして嫁は読んでくれるだろうか?笑)

来年は同じ内容をグッドウィルハンティングから遠藤周作に置き換えて書いてみようと思っております(笑)

 

さて、では子供たちをしばしの間嫁さんの実家(隣)に預け今から嫁さんと二人きりでパフェでも食べに行ってきます。

 

今日はこのへんで。

 

 

 

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