「そいる文庫(番外編)」私の心の中につもる遠藤周作の名言

そいる塾長
そいる塾長

どうも、そいる塾長です。

今日のSOIL文庫は番外編。作品ではなく作家さんで。人生を変えた一冊とでも言いましょうか。結構私にとって大きな影響を与えた遠藤周作の名言をご紹介します。

 

遠藤周作作品との出会い

この人の作品との出会いは高校での模試。マーク模試の物語文の出典作品でした。

作品名は全く覚えていないんですが、その内容に何か心惹かれて作者名だけ覚えていました。
試験の最中に作者名が気になったのはこの時が初めてだったかと。

なお遠藤作品は2005年センター試験で出題されています。短編集「最後の殉教者」に「肉親再開」が収録されています。

これもまたそいる文庫で紹介しますね。

この問題を指導する度に、生徒たちは物語に登場する兄と妹、どちら側に立って読んでいるのか気になる作品。

塾をやっていると時々この”妹”みたいな生徒に出会います。その度”兄”の気持ちになるんですが、私もこの”兄”のように何かを言う権利があるのか迷うばかりです^^;

 

1996年(平成8年)9月29日遠藤周作逝去

ちょうど私が国語で全国模試1位をとった頃。ブイブイ言うとりましたが以前にも書いたようにこの頃私は本なんて全く読んでませんでした。

ニュースで遠藤周作逝去を知ったのですが、その時は「あ、この人なんかの問題で名前見たぞ」って思っただけ。そんなこと私には特に関係ない。

勉強にも少しは目覚め、恋愛、部活に大忙しでとにかく高校生活を満喫していたころ。

そんなある日彼女と一緒に、彼女の自宅近く(めっちゃ田舎)の小さな図書館でお勉強してました。

一生懸命勉強に励む彼女。

対照的に集中が切れまくる私(笑)

彼女の邪魔になるまいとプラプラ図書館の中を歩きまわっていました。

 

自分の価値観がガラガラと崩れ去る瞬間

そんな時、目に飛び込んできたのが「遠藤周作追悼コーナー」

「あ、あの人だ」となった私はなんとなく何冊か立ち読み。

「海と毒薬」などの有名作品は当然耳にしたことはあったのですが、そのときは特に興味なく、本当に何気な~く手にとり立ち読みしたのが、追悼本だったのか遠藤周作を偲んで様々な人が寄稿したような本(いやもしかしたら雑誌だったかもしれません)。

そこで彼の言葉を読んだ瞬間、自分の価値観がガラガラと崩れ去るような気がしました。

人生、純愛、宗教と様々なものに対しての彼の考え方に触れ、なんて面白い人なんだと感じるとともに、自分のダメなところが見透かされているような気がして、なんだか生き方が真っ向から否定されているような気分に・・・。

自分の中にある弱さや醜さを見透かされているような恐怖感と励まされているような高揚感。

私が今でも、遠藤作品を読んでいて常に感じることです。

その日彼女にはその出来事を詳しくは話していません。

当時の私はとある事情からそれまでの平々凡々な生活から人生の荒海、というか泥沼というかですね、とにかくそういう大きなどす黒~い渦のようなものの中に巻き込まれつつある時期でした。

その後の人生において避けることの出来ない黒い影の足音が聞こえ始めたというか、様々な問題がくすぶり始め焦げ臭さに気づき始めたというか。

まあ単にこのあと色々人生苦労するわけですがそれの予感めいたものが出始めていた時期なんです。

だからこそ反応したのかもしれません。

その日は図書館が閉まるまでの残り時間勉強もせずひたすら彼の本を読みました。

自宅近くの図書館ではなかったので本を借りることはできなかったのですが、帰り道に駅の近くの本屋で彼の作品を2冊買いました。

特に理由はありません。彼の本ならなんでもよかったんです。あえて言うなら薄いものを選んだくらい(笑)それがこれ。

読んでいると本当に心がざわつくんです。

そしてますます遠藤周作という人にハマっていくわけです。

 

あの時出会っていなければ…

あの時「遠藤周作追悼コーナー」で本を手にしていなかったら、今の私はいなかったと思います。

いや、それだけではないですね。あの模試でもしも遠藤作品に出会っていなかったら…。

今頃、京都にもいなかっただろうし、今の仕事もしていないだろうし、今の嫁さんと結婚していなかったろうし、こんなブログも書いていないと思います。

私の人生観が方向を変え始めました瞬間でした。

それはもちろん今となっては良い方向だったと思っています。

身の上話をしたいわけでも遠藤作品を薦めたいわけではないんです。

ただいつも言っている読書の意味。

読書というのは全く異なる人間の価値観に触れる機会になるということ。

本のジャンルはなんでも良い。私は漫画でも別に良いし、映画でも。なんなら友達とおしゃべりしてるだけでも良いと思うんです。

だけど本の素敵なところは文字以外全部自分で補完できる。全くに自由なんです。

心配しなくても受験みたいにこの時の主人公の気持ちは何でしょうとかしょーもないこと聞かれませんし、自分で勝手に妄想し放題です。

私はこの妄想がすごく大切だと思うんですよ。この妄想こそが本の養分をしっかり体の中に染み込ませてくれる消化酵素のようなものではないかなと。

例えば映画だと主人公がなぜこの俳優さんなんだ!?と突っ込みたくなる時ありますよね。演技ができそうもないアイドルが出てる時点で私は見ない。自分の脳内で変換するのしんどいじゃないですか。

他人の価値観に触れる時、あなたは全くの無ではいられません。あなたの価値観の上に他の価値観がのっかってくる感じです。

”読む”ではなく”視る”や”聴く”が入ってくるとちょっと自由ではいられなくなります。押し付けが入ってくるというか。でも本なら、その自分と異なる価値観を少しのっかりやすくすることが可能かなと。

だから本を読んで自分では吸収しきれないときなんかは逆に映画化されたものを視たら良いです。ちょっと押し付けてもらったほうが分かりやすくなることもありますからね。それはそれで新たな発見があったりしますよ。

ま、いずれにせよ人生を変えた本との出会いが模試だったってのも塾講師らしくていいかなと(笑)

私がそいる文庫というカテゴリーで入試問題を中心に紹介しているのも、小学生に読書会をするのも原点はここ。残念ながら授業じゃなかったけれど、国語教育というものの影響でこういった出会いがあったのは確か。

だから少しは自分もそれを自分の生徒に伝えたいなとは思っているのですね。

生を変える一冊なんて大げさなもんじゃなくてもいい。もしかしたら読んでなくても今みたいになっているかもしれません。ちょっと大げさに言ってます(笑)

でもこうやって読んだ本の一場面や一文が、何か心の中で雪が降ったあとのように薄く積もっていけばいいかなと。すぐ解けて消えてしまうかもしれないんですが、それが人生のどっかでひょっこり立ち上がってきたりする。

それだけでどれほど価値のあることかと思います。

ということで私の心に積もっている遠藤周作作品を、そのなかにある名言でご紹介しておきます。今回はエッセイ中心ですがお許しを。

 

私に影響を与えた遠藤周作至極の名言をいくつかご紹介

この名言から自分が何を得たかなんて話はしません。そして至極かどうかは個人差があります。悪しからず。

人生の本当の意味などが若い時からわかっていれば人生はもう生きていてもつまらないものになる。(中略)若い時は人生の謎と意味が解けないから、我々は生きるのだし、生きるに値するのである。

面白可笑しくこの世を渡れ

 

人間はみんなが美しくて強い存在だとは限らないよ。生まれつき臆病な人もいる。弱い性格の人もいる。メソメソした心の持ち主もいる。けれどもね、そんな弱い、臆病な男が自分の弱さを背負いながら一生懸命美しく生きようとするのは立派だよ。

自分をどう愛するか―「生活編」幸せの求め方

 

今の若い世代にもっとも欠けているのは「屈辱感に耐える」訓練である。この訓練が行われないで、そのまま社会から大人あつかいにされると、おのれのすること、なすことはすべて正しいと思うようになる。

勇気ある言葉

 

挫折も失敗も病気も失恋もプラスにしようとすればプラスになっていくのだ。そのプラスにする知恵を教えてやるのが私は本当の教育だと思っている。

春は馬車に乗って

純愛は映画や小説の中にあるのではない。ミソシルをのみイワシを食っている貧しい我々の夫婦生活の中から一歩一歩創り上げていけるものなのである。

春は馬車に乗って (文春文庫)

 

私は率直にいうと『純愛』などは本当の愛ではないと考えている一人である。それができればすばらしいだろうが、逆にうすよごれうすぎたない愛情生活にこそ価値があるのだと思っている。うすぎたない日常生活のなかに、生活のうすぎたさのなかに、何とか意味を発見したいと欲している一人だ

心の航海図

 

愛とはピッタリ合わぬ男女が、それでも手を離さぬ努力である

愛情セミナー

 

神とかキリストというのは、働きだとまず思ったらいいのではないでしょうか。神とは自分の中にある働きだ、と私は考えているのです。(中略)くりかえして言うと、神の存在ではなくて、神の働きのほうが大切だということなのです。

落第坊主の履歴書

 

神とはあなたたちのように人間の外にあって、仰ぎみるものではないと思います。それは人間のなかにあって、しかも人間を包み、樹を包み、草花をも包む、あの大きな命です。

深い河

とりあえずこれくらいにしておいてやりましょう(笑)

人生観恋愛観とかではキレイゴトが嫌いなのは確実にこの人の影響w

宗教観とか言うと勘違いする人がいるとなんなので、一応言っておきますが私には信仰心はひとかけらもありません。ただこの人の信仰心は理解できるんですよね。

そして教育

彼の教育観も好きです。世の中高生たちに向けてこんな名言も。

自分以外の世界を想像する力のないものはいかなる芸術作品もわからないからである。小中高生の諸君、大学に入ってもこういう想像力が欠如している大学生になりたいか。

春は馬車に乗って

コレをかつて本で読んだ少年が今では39歳になって毎年高校生に偉そうにこのセリフを授業で話してますよ(笑)

 

今日はこのへんで。

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