そいる文庫はじめます。「国語と読書と私」国語力の土台を作った3人の大人たち

そいる塾長
そいる塾長

どうも、そいる塾長です。

前のブログで断トツ不人気だったこのカテゴリーを復活させます!(笑)カテゴリー名は「SOIL文庫」!入試出題作品を中心に生徒に読んでほしい本をそいる目線で紹介。入試問題の先を読んでみましょうよ。今日は「ことはじめ」ということで紹介のまえに私の読書感を国語への考え方とともに書きますね。

 ”Man is what he reads.” Joseph Brodsky

名言ですね。これはやっぱそのとおりだと思うわけです。

ちなみにうちの絵本棚。

私がDIYで作りました(*’ω’*)ステンシルで”Man is what he reads.”と入れたのはやっぱり自分の子どもに本をたくさん読んでほしいから。強制はしたくない。自分で本の楽しさを知ってほしいなと。

私は本で人生が変わったので。

本を読まなくても生きていけますがね。でももしかすると1冊の本との出会いが…なんてことあったら素敵じゃないですか。そもそも読むことって勉強の基本。リテラシーも鍛えられる。読むことが苦痛にならない、もっと言えば楽しくなったら最高です。

それを可能にする科目が国語であるはずなんですよね。

でも私が国語を、そして読書を本当に好きになったのは大学入試の国語を勉強しているとき。決して本が苦痛ではなきが楽しみな少年ではなかったので。

だからこそ受験勉強を教えるうえで、まずは読めるようにしたい。「いざとなったら読めますけど何か?」くらいの能力を身につけさせたい。そして読書が嫌い、苦手な子たちを嫌でもやらざるを得ない国語の勉強を通じて読書をしようと思えるようにしたいなと思っています。

だからこそきっかけを入試問題にしたい。商売柄仕方ないんですが、どんなに点数を取らせてもやっぱり読書の面白さを伝えられないなら何のためにやってんだという話です。

 

 

国語と読書の関係についての私の見解

 

私は小学高学年から中学、そして高校2年くらいまではほとんど本を読んでいません。そう考えると私が突然模試の国語で全国一位を獲得するほど国語が得意になったことと、”そのとき”の読書量はほぼ無関係に思えます。

時間があったら外で遊ぶ子だったので。

本を読めば国語のお勉強ができるようになるという甘い考えは捨てて下さい。

これは当然と言えば当然。

しかしこれは「本を読んでも国語が得意にはならない」と同義ではない。

本を読む土台となるものが早い段階で作られていないと、そもそも本が読めないので、読書が好きになる訳ありません。分からないのに楽しいほうがおかしいですよね。

国語が苦手な保護者さんが言う「うちの子本を読まないので」。残念ながら彼はもう読めないから読まないですよ。

土台をつくるのはあくまで読書体験。しかしそれが欠如している子たちがいるわけです。

だからここで国語の授業の出番となるわけです。そうです私たちの出番となるのです。読める力とそして読みたくなる授業をね。しかし今日はこういう対症療法ではなく原因療法のお話をしてみたいなと。

ぶっちゃけ幸運なことに私にはある程度の土台があった。得意だと思ったことはないが小中と国語で困ったことはない。

ただ中高での読書経験が極端に薄かった、つまりは大学入試問題レベルの文章への対応力が読書で培えなかったのと解き方が分かっていなかったから高校入学後いったん国語で躓いたわけです。

ですがそこから独学により一瞬で国語が得意になりそのうえ読書まで好きになれたのは間違いなくそんな土台がある程度備わっていたから。

おそらく私の国語力の土台を作ってくれたのは3人の大人たちです。

この3人の役割からこの国語力の土台がどのようなものかを見ていきましょう。

 

私の国語力の土台をつくった大人一人目:母親

家庭で子どもの国語力の土台が作られる条件
☑ ①こどもに本を読む環境と時間がある
☑ ②親が本を読む
☑ ③親が子どもと本の内容について話す

この3つかなと。最初に国語力を与えるチャンスをもつのは間違いなく両親。①と②はともに③の前提条件かなと思います。

大事なのはとにかく③

これがないとね…無理やと思います。③の最初が絵本の読み聞かせなんですよね。もちろんそれは保育園や幼稚園の先生でも爺ちゃん婆ちゃんでもよいわけですがね。

絵本の読み聞かせが読書の基礎である3つのポイント

最初に読み聞かせがもたらす3つの大きなポイントを。

☑ 【1】絵で文字・文のイメージ化
☑ 【2】読み方で文字・文のイメージ化
☑ 【3】子どもたちのアウトプットを促す

 

【1】絵で文字・文のイメージ化

おそらくはこれが最も大切な絵本の機能なのかなと。文字・文に対して絵でイメージ化を補助するわけですね。絵本ってリアルなものから抽象画みたいなイラストまでありますよね。その辺このイメージ化のトレーニングにはどうなんだろうと。子供たちの目にはあの絵はどう映っているんだろなと。

なんにしてもここで文字列に意味を持たせるイメージ化のトレーニングとなる気がするんですよね。

 

【2】読み方で文字・文のイメージ化

読み聞かせをしていると最初は子守歌みたいなもの。ただちょっと成長してきて同じ絵本を何度も読んでいるとまず読むのを真似しますよね。これこそ文字に意味を持たせる読み方の原型でしょう。

広告などでフォントを変えてイメージ化させる手法と同じですよね。

「同じ言葉なのにフォントが違うとまったく意味が変わる」わかりやすい比較例 : らばQ
フォントによって文章の印象はガラッと変わるものです。 まったく同じ言葉なのに、フォントによってまるで異なる意味にとれてしまうと海外掲示板で盛り上がっていました。

こちらのサイトで紹介されているこちらの画像がまさにそれ。ほんと面白いですね。これを声でやるというだけのことです。これも【1】のイメージ化と同じ。

【3】子どもたちのアウトプットを促す

そしてだんだん読んでいる最中にあーだこーだ邪魔してくるようになるわけです。子育てでヘトヘトのところにこれが来る。わかります、私先に寝たこともあるんで(笑)

しかしこれがいかんのですよね。

たとえそれが頓珍漢な発想でもこれが子どもたちの最初のアウトプット。これに対する大人のリアクションでまず最初の国語力の分かれ目が来るかなと。

読むだけじゃダメってことなんです。そして本も与えるだけではだめなんじゃないかなと。最初はね。

子供たちにアウトプットするよう持っていけるか。そのためには教えるのではなく聴く。子供たちに与えるのは質問。大人の役割は聴くことだなと思うのです。

だって本の面白さって文字の外にあるんですよね。行間とかではなく完全なる外。読んだことから何を思うか考えるかが読書の面白さ。口にいれた瞬間よりも消化するときが面白い。その消化酵素が大人であれば「経験」だったりするわけです。

これなんかまさにそうで、ある時を境に全く違った作品になりました。面白さは文字から情報を正しく読み取ることじゃあないわけです。

でなければ昔読んだつまらない本を大人になってから読み直して号泣するなんてありえないわけです。情報が読み取れていなかったわけじゃあないですからね。国語で100点とっていたってこの絵本では泣きませんでした。同じ文字と同じ絵がそこには書いてあるのに。

つまり子どもたちにはそれを可能とする正しい読み取り能力はもちろん、その情報をイメージ化する能力もない。そして面白さを消化するための経験もないから絵本の読み聞かせにより文字以外の情報源を与え、さらに考えるヒントを与えてあげる。それが絵本の読み聞かせのときにもっともやりやすい子どもとの対話。

これができると面白くなると思うんですけどね。でもここで面白いと思わなかったらいくら家に本が置いてあってもそりゃ手を出すはずもなく。

ちなみに我が家は本がたくさん置いてある家…ではなかったかなと。少なくとも文庫本が並ぶような本棚はなかったわけですが、ありがたいことに母親が本をたくさん与えてくれたり頻繁に図書館に連れて行ってくれていたことを覚えています。

私の読書の原始体験はこちら。

どんな風に母親がこの本を読み聞かせてくれてどんな話をしていたかは覚えていませんが、多分もう嫌になるくらい読んでもらったと思います。これ今読み聞かせをする立場になると結構長くてつらい(笑)

そんな親の気も知らず他の絵本にわき目も振らずこの絵本を握りしめていた記憶が。そして幼稚園のころこの絵本でまさに大冒険をするような妄想、つまりイメージ化。しかしそれは絵や文字の外にあるものへのイメージ化を繰り広げていたことは覚えています。

これが私が最初に身に着けた国語力の土台かなと。

 

私の国語力の土台をつくった二人目:小学1~2年の担任、岡本先生

 

私は失礼ながらこれまでお世話になった先生のお名前やお顔をあまり覚えていません^^;

ですがこの岡本先生だけは授業風景すら覚えています。おそらく国語だけでなく私がいつも勉強法で言っている勉強に対する正しい心構えである土台の部分を作ってくれたのもこの先生なのかもしれません。

ですがその覚えている授業が国語ばっかりなんですよね。とにかく国語の授業中はずーっと手を挙げて発表していた。

ちなみに授業中手を挙げるのはいつも決まって私とY田さん。結構小学校の時には一緒に暴れていましたが高学年になるとめっきり会話もしなくなりました。結局彼女とはそのあと高校まで一緒でした。ちなみにこのY田さん、典型的な本の虫。中学高校では休み時間本を読んでいるとこしか記憶がない。ちなみに東大文Ⅲに行きました。文学部に行ったんでしょうね。

Y田さんは読書が国語力をつくる典型例。

私の国語力の土台は岡本先生とある意味このY田さんのおかげかな。

とにかく私はこの教室で毎日手を挙げアウトプットしまくったわけです。そしてとなりでは本の虫Y田さんがアウトプットしまくるわけです。この環境が読んで考えてアウトプットするという基本の型を身につけさせてくれたと思っています。

小学校の先生の仕事って本当に難しいですよ。1本のネジを作る方が車を組み立てるより難しいなんてことないんですよね。このネジ1本がその子の将来を分けるかもしれない。小学生なら教えられますなんて言葉口にする人は私なら絶対雇わないですね。終わってる。

 

私の国語力の土台をつくった三人目:小学5~6年の塾の担任、藤田先生

 

私が初めて通った塾。調べてみたら…まだありました。結局中学でやめちゃった塾なので名前は出しませんが。サイトには40年の伝統って書いてありますね。すごいな~。藤田先生はご健在かな?国語の先生でしたが今考えたら当時は教室長的ポジションだったのかな。やめるときに母親が藤田先生と話していたのを覚えています。

しかしこの人、マジで怖くてビンタされまくりました(笑)いや体罰を肯定はしませんよ。でも塾全体がそんな感じでマジで厳しい塾だったのですがおかげで勉強の土台は鍛えられたかなと。

特にこの藤田先生の国語。

漢字や語彙の重要性とそれを正しい形でインプットする方法を学んだのはここですかね。中学受験をするわけでもない小学生にビンタですからね(笑)そりゃ必死でやるわなと。おそらくここで読書以外の方法で国語力をドーピングしたんだと思います。(体罰を肯定しているわけではありません。)

まずはやはりここでの漢字への正しい姿勢を身に着けたのは後の勉強に大きく影響を与えたなと。

【そいる塾長の種まき勉強法】漢字一文字があなたの国語力を変える!
そいる塾長 どうも、そいる塾長です。 ※こちらは前のブログで今年の4月頃に書いたものを自分でリライトした記事。尊敬するあいぴー先生のお話からインスピレーションを受けて書かせて頂いたものになります。 今...

こういうことです(笑)↑

そして読解。ちゃんというと読解して問題でアウトプットするまでつなげる思考プロセスの基本。そしてもう一つ問題との対話能力。この2つの基本の基本を身に着けたのがでかいなと。中学受験しないと正直なかなか難しい。学校の国語では無理かなと思っています。しかしこの時期に国語をちゃんとやるべきと思っています。問題演習というのは絵本を読んでくれていたお母さんとの対話の代わりです。

ただしビンタが飛んでくるので母ほどやさしくはなかったですが(笑)

まずは絵本の読み聞かせではできない、文章を正しく読み取る力を身に着ける。ずばり論理力。文章の外ではなくこちらは内。書いていることを書いてある通りに正しく読み取る力を身に着けるわけです。

退会の面談で藤田先生から言われた言葉。

とあるカリスマ講師
藤田先生

あの子は将来京大くらいにはいくでしょう。頑張ってください。

中1で方程式ができなかった私によくそんなこと言ったなと当時は思ったもんです^^;

おそらくこの先生が私の国語力と勉強の土台を作ってくれた恩師。もしまだご健在なら一度お会い出来たらうれしいな。先生は私のことは覚えていないでしょうがね。

 

 

国語に必要な能力

できれば小学生の間に次の2点を身に着けてもらいたい。

☑ 論理的に読み文章から正しく情報を得る力
☑ 文章・言葉からイメージ化しその背後に込められた意味・メッセージを得る力。

どこかで躓くと本を読まなくなり、語彙が増えず活字自体も苦手になる。カテゴリーが上がるにつれ文章から得るべき情報量が増え処理が追い付かなくなる。

英語と似てますね。中1が抜けていると中3からは最も成績を上げにくい科目。原因は語彙と基礎文法。

そうなると英文を読む、書く事ができないので、そもそも読む・書く時間が他の子に比べて下がる。で、練習不足でますます苦手になると。英語はほんとに蟻地獄。

本が嫌いな人には必ず何か嫌いな原因があります。どこで躓いたかを発見し、読む訓練を基礎からする必要があるんですよ。段階的に本を読む練習をしていかなければ大人になって話題の新書を勧められてもやっぱり読めないですよね。

そもそも「誰でもやる気を出せば読むことは出来る」という前提は間違っています。

にもかかわらず、現状の学校の国語の授業って誰もが日本語だから読めるという前提で進んでません?「読めないのは知らない語句があるからだ」とか「知らない漢字があるからだ」といって辞書を引けば読めるという前提。興味をもてば誰でも読むはずだ」という前提。

問題なのはそこじゃないと思うんです。

それで出来るようになるのは、ただ何が書いてあるかという文字の上を目がすべるだけの情報収集だけ。文字通りにしか読めない人が本を読めるはずがない。読んだ内容が読むごとに消えていく人であればそれすら困難。面白くないんです。

やはり大切なのは文章の意味すること。辞書に書いてある意味ではなく筆者が表現したい意味のこと。それを読み取るの力が読解力ですね。

読解力とは正しく読み取った情報を自分のなかで消化しアウトプットできる能力

幼いころから本を読んでいると、読む能力が段階的に自然と訓練できます。しかしそこにはおそらく私のように誰がどのようにかかわったかが大きい。私の場合は両親があまり読書をする人ではなかったですが、その分良い先生に恵まれたというのがあったのかもしれません。

ですがこういう環境にいなかった人が突然中学や高校になってから訓練を始めると、入試問題の評論文や文学作品など文章レベルが上がってしまい、訓練どころではなくなる。こうなると読めないというより読みたくないが勝つ。

ゲームでもスポーツでも難易度が高すぎるとやる気を失うのと同じです。

かといってレベルを下げた文章を読ませるにしても、高校生に小学生の教科書を読ませても内容が今度はつまらない!となってしまい、練習が続かないんですよね。

まぁ、私の仕事はそんなことたちをドーピングすることです。それを受験のテクニックというならそう呼べばいいです。しかし私はきっちり読んできっちり問題を解く方法しか教えません。それしかないんで。「読める」という感覚がどういうものなのかを生徒に教え、「読めたら面白い」という感覚を与えられるように授業をするだけ。

一応私の授業を受けたのち国語の先生になりたいという子が出ています。全員大学入試で点数が伸びた子たち。受験勉強で読書の楽しさ、そして奥深さを知り、自分も人にそれを伝えたくなる。国語を教えていてこんなに幸せなことはないですね。

ま、私はそもそも国語の先生ではないんですが^^;

 

ということで次回からこのシリーズでは入試の出題作品を中心に生徒向けに「そいる文庫」と称して入試問題とセットでおすすめ本を紹介していきたいなと思います。(最初は前ブログでの記事中心になりますが^^;)

入試や模試で題材となる作品というのはやはり面白いんです。だって国語のプロ、そして教育のプロが厳選した作品ですからね。一見小難しそうに思えるかもしれませんが実はおもしろいんですよね。読んでいたらそのうち「ぬはっ!」ってなる瞬間が来ると思いますよ。

少しでも興味を持ってもらえれば幸いです。

 

今日はこのへんで。

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