【そいる文庫】「小学5年生」重松清

そいる塾長
そいる塾長

どうも、そいる塾長です。

今回のそいる文庫は中学入試の定番「重松清作品」を。なんだか読書感想文ではなく中学入試を控えた小学生へのメッセージになってしまいましたがお許しを。


いよいよ中学入試の日が近づいて来ました。(もう始まっていますね^^;)

中学受験といえば「重松清」(無理くりですが笑)

理由としては小学生が主人公の物語が多く、小学生から大人まで楽しめる作品が多いこと。

また内容としても登場人物や舞台設定がリアルで、その辺の日常を描いていることが多いので、感情移入がしやすいという特徴。

さらにしっかりとした文章構成に心情描写も秀逸と、出題者としては作問がし易い、などが主な理由でしょうか。

重松作品は、作品の読者層を想定して文体を構成しているように感じます。(当たり前か…^^;)

そのため、こういった幼い主人公の物語は同年代の読者でも読みやすいように、わりと平易な言葉で書かれていて読みやすい作品が多いとも言えるでしょう。

この方ってかなりの技巧派。悪い意味ではないです。職人な感じがする作家さんだなと。建築家みたいな。図面がしっかり出来ているような感じ。

だからか文体というか、構成と言うか、表現がとっても”きれい”なんです。

重松さんの書斎はしっかり整理整頓されているイメージ。本棚もきれいなんだろうな。(勝手なイメージです^^;)

作家さんのなかにはこういうイメージの方と、反対に机の上に本が山積み、くしゃくしゃにされた原稿用紙で部屋中足の踏み場もないくらい埋め尽くされているような部屋がイメージできるような人もいますよね。

中学入試の国語の特徴

この重松作品はもとより、入試問題で題材にされる物語では受験生と同世代の子どもが主人公で、その子どもたちはだいたいどこかで「成長する」

そのターニングポイントはこの作品のように家族、離婚、死別、友達、転校、恋愛など それぞれ子供にとって 大きな出来事をがきっかけだったりするわけですが、最後は必ず「成長する」、つまり心情がポジティブに変化する(ことが多い)。

そりゃネガティブになってしまう作品もあるでしょうが、そういうのは中学入試で出さないでしょう。なんで入試に来て凹まされて帰らないといけないんだと(笑)

そういう意味で入試問題を解きながら受験生の子供たちにも少しだけ成長してもらいたいな~なんていう出題者の意図を読み取ってあげましょう。

例えば、気弱な男の子が山で道に迷う。

しかしこの場合、家族の元へ戻る頃には一段大人の階段を登っているはずです。

見抜くべきは「どこで変わったのか。」「どう変わったのかです。」

そのためには感情表現がなされている部分(重松作品では情景描写でそれがなされている場合が多いです。)をしっかりマーキングしながら、時間の流れ・場面展開とともに何がきっかけで主人公の少年少女の心情表現が変化するのか、その転換点を見つけましょう。

入試問題では必ずそういう部分が抜粋されますので、その心情のターニングポイントをしっかり抑えることが肝要です。

このとり方は中学受験~大学入試まで共通。このトライアングルをしっかり考えながら読み解いてみましょう。

何を問題で尋ねられているのか、「出題者の意図」をしっかりと見抜くようにしましょうね。

中学受験の目的とは

今はもちろん入試直前期なので、入試問題以外読んでいる暇なんてないでしょう。

ですが、中学入試が終わったらぜひとも子供たちには本を読んでもらいたいところ。

何より今はまだ小学生。これからも国語の勉強は続きますし、何よりこれからが人格形成のための最重要期

狭い世界に閉じこもらず、本という無限に広がるオープンワールドで探検をしてみて下さい。

「受験が終わってから読むのでは遅い、もっと早く読んでおくべきだ」などとおっしゃる先生も多いのですが、読んでねーもんは仕方がない。

それよりもせっかく国語の授業をバリバリ頑張り、小学校でもトップクラスの語彙力と読解力を身に着けた(はずの)皆さんです。

今こそ読む時ではないでしょうか。だって読めるはずだから。

いや、私みたいな子どもはね、ただでさえ、勉強嫌い、国語嫌いなんですよ。

そりゃあ読書の開始は早ければ早いほど良いに決まっている。

でもね・・・。

読書が苦手・嫌いな子どもにこそ読書のおもしろさ、大切さを伝え、さらにその技術を教えるのが国語ではないか?

それは受験勉強でも同じです。

いや、受験勉強のほうがむしろ伝えやすいのかもしれません。

何のために毎日塾へ通って猛勉強して受験なんてしたのか。そりゃあ良い中学に入るためですよ(笑)

大抵の子は大した理由なんてない。大した理由は本人ではなく親が握っているわけで。

ですが、その受験のために、最後は国語が嫌いだとか言ってられなくなり、宿題や模試で必死で課題文を読んだじゃないですか。みんな本当に頑張ったはずです。

大した理由はなくとも、努力はしたはずです。

彼らにとって大切なのは理由より努力したという事実。

となると受験勉強をし始める前とくらべたら、今は読解力、語彙力、論理力どれも段違いに上がっている(はず)

今が読書が楽しくなるチャンスなんです。

入試が終われば、国語の点数が上がったことよりも、この国語力があがったことが重要になるのです。

なのに、受験が終わってから読んでも意味が無いって、それこそ何のための勉強だ…ということになりますよね。

これは本当にもったいない。残念ながら入試にでもならないと普通の小学生は本気になりやしません。

受験は本気で取り組ませるという意味では素晴らしいツールかもしれません。

今、この入試直前期は今までの彼らの人生で一番勉強と向き合い、自分と向き合っている時期です。

「受験勉強に意味があるかどうか」、はその子次第と言えるでしょう。

だからこそ、受験してよかったといえるように、入試が終わったら是非受験で培った能力をムダにしないようにしてあげて下さい。

親が言う「大した理由」はこういうところにあるんだということを理解させてあげることです。

でないと子供たちは「良い学校」に行く理由をおかしな方向に取ってしまいますよ。


今時受験が終わったらご褒美にゲーム・スマホなんでしょうから、そこへ読書が割り込むのはたしかに難しいと思います。

ですので保護者さんにはもうひと踏ん張り頑張ってもらって、入試問題や塾のテキストで子どもが面白かった、感動したという本を一緒に本屋さんに買いに行ってぜひ一緒に読んでみて下さい。

中学になるようなお子さん(特に男の子)は一緒に読むなんて難しいと思います。

だから親子で回し読みすればいいと思うんですよね。

それでも共有できることがありますから。

ある意味で、こういう小説で描かれている内容(テーマ)ってなかなか親から子へは伝えにくいものです。

そういうのを本を通じて伝えていくというのはいかがでしょう?

自分たち大人と子どもの捉え方の違いを知ることで、普段は分からない子どもの「根っこの部分」が垣間見られるかもしれません。

私は幼いころ、それを親や教師に知られるのが恥ずかしくて読書感想文を書くのが嫌だったので思ってもいないことばかり書きました。

それで賞なんかもらっちゃったときには、「大人ってばかだな」って思ったものです(笑)

親として色々やりにくくなってくるこの時期にこういう作品を読んでおくのは良いことではないかと。

幼いころって自分を客観視できないもの。

ですが、この本では、重松 清という完全なるおっさんが小学生の心情を描き出している。(重松流の職人技でそんな加齢臭は見事にファブリーズしてあります。)

あ…おっさんが少年を描くとどうしても出てくる問題が「もこちん」

この話はちょっと一部の女子小学生にはダメかもなのでお母さんのご判断で(笑)

だからこそ、これを読むことで、少しは自分(子どもという存在)を客観視出来るようになるかもしれません。

この世界には全く異なる視点が存在し、また別の人生が存在するということ。

それを知るにはもってこいの作品。なんせ一話がだいたい10ページでぎっしりと色んな子どもの人生が詰まっているのでね。

こういうことを知るほうが、有名中学入学後、そしてその後の人生で、学歴(学校のネームバリューという誤用の方)よりも大切になるはずです。

中学入試の問題を作っているようなおじさん・おばさんたちもそれを狙って願って出題しているわけですから。

最後に

そして最後の最後で、内容についてはほとんど書いていないことに気付く…。

とりあえず読書会でやりましょう。ただどちらかというと小学5年生を振り返る時期に読んだ方が面白いんじゃないかなとも思うんですよね。

自分が小学5年生であったことを思い出せます。こうやって距離を置いて過去の自分を客観的にみる経験は大切ですし、そしてなによりこのほろ苦さはそんな頃の方が味わい深いのかもしれません。

んじゃ紹介するなよと思われましたがまた今回の中学受験でも出まくるであろう重松作品だったので思わずね^^;

とにかく頑張れ!中学受験に挑む小学生たち。

試験当日は何も考えず自分がやってきたことを信じればいい。ただそれだけ。

終わったときにあなたは成長しているはず。小説の主人公の少年のように。

今日はこのへんで。