どうも、そいる塾長です。
一問同心先生の授業拝見!
ほいのほいのほい(*´ω`*)
1つだけでさびしいですが……
1日元気出してやれました(*´∀`*)
横のブースはそいる先生の授業😊
しっかり盗ませてもらいました(*≧∀≦*)
#板書千枚チャレンジ pic.twitter.com/g6bT6bbJ03— ミスター⭐️一問同心 (@itimondousin) 2018年12月27日
昨日の創心館での出講授業。
私が少し早めに到着するとなんとあの一問同心先生が授業をしているじゃないですか。今年5回目となる訪問ですが先生の授業が見学できるのは今回が初。
書く必要がないことかもしれませんが一応書いておきますと、この方は板書だけの人ではないですからね(笑)板書はあくまでおまけです。超でっかいおまけですが(笑)
なによりもすごいのはとてつもなく深い知識と経験に基づく授業力。それがあっての板書です。ただきれいなだけじゃない。こんな授業を普段から受けていたらやはり生徒たちの社会の勉強が変わるだろうなと強く感じる授業です。
そしてトークね。講師全員が笑顔で授業し生徒も笑顔が絶えないのが創心館の魅力。
このホームページのトップにある動画見てくださいよ。まさに普段からこんな感じ。こればっかりは行くたびにジェラシーを感じるほどです。
当然この一問同心先生も例題ではありません。トークでしっかり爆笑もとるし私が見ていても授業が楽しい。社会ネタで笑いを取るのが素敵ですよね。
とはいってもやっぱりあの板書は驚異的。日本一ではないかとすら思うほど。
上のツイートはその後隣通しで授業をさせていただくことになったときのものですね。
創心館の特徴はオープンな教室。授業していると隣の板書が見えるんです。
ええ…、私の板書と一問同心先生の板書を、私が指導している生徒に見比べさせるだけで爆笑がとれましたよ(;’∀’)
ということで本題。一問同心先生の授業を拝見している際、実際にあの板書が創られていく過程を見ながら感じたことを今日は書いてみますね。
仕事もひとつひとつ丁寧に
最初、あの板書が本当に1本のペン先から生み出されていることに違和感すら感じました。なんかデジタルな映像が映し出されていくような感覚。
どうやって書いているんだろうと注視してみると気付いたのは、とにかくひとつひとつの作業が丁寧なんですよね。
いや、それは当たり前やろと思うかもしれませんが私が丁寧にやるのとは違う。
いや、字がきれいだとか汚いだとかの話ではなく、丁寧さのスピード感が違う。
丁寧なのによどみがなく洗練されていて速い。速いけど急いではいない。
なんでしょうか、なんかの漫画で読んだ「流れるような動き」みたいなのがぴったりかなと。
あ…これだ(笑)
興味のある方はこのあたりを参考にしてね(笑)
いや、これ結構真面目な話ですよ!
気を整え 拝み 祈り 構えて 突く
一連の動作を一回こなすのに当初は5-6秒
一万回を突き終えるまでに
初日は18時間以上を費やした
最初はあのネテロ会長もこれだけの動作にこれだけの時間を要したわけです。
ところが…
突き終えれば倒れるように眠る
起きてまた突くを繰り返す日々2年が過ぎた頃 異変に気付く
一万回突き終えても 日が暮れていない
となり…
齢50を越えて 完全に羽化する
感謝の正拳突き一万回 1時間を切るかわりに 祈る時間が増えた
となったあげく最後は…
となるわけです。
いや…何が言いたいかというと、ひとつひとつの作業を端折らずひとつひとつ丁寧にやるということを繰り返していくことでの高速化が可能ということです。
そしてこれは常態化(無意識レベルで発動可能)ということにもつながります。
もはやあの板書は一問同心先生にとっては当たり前の技。
あ、Twitterでやってらっしゃるあの板書1000枚チャレンジ。あれまさにこの感謝の正拳突きですやん(笑)今もまさに実践中ということですよね。
板書の有用性のお話しとか今はどうでもいいんです。もし板書をしないといけないとなったときにそこまで自分の動きを意識してできているだろうかということ。
これは板書にだけ通じるものではないですからね。
自分には自分の指導スタイルがあってそれを好んでくれる生徒がたくさんいるのは間違いないですし自分も自信を持っています。
しかしもっともっと進化しなければいけないわけです。
これは上江洲先生から教えていただいたことですが発声、姿勢、目線など普段意識しないことをもっと意識し自分を客観視するということが大切だと。そして目指すべき理想像が見つかったならそれを意識し毎回毎回繰り返し無意識レベルで発動するところまでもっていくわけですね。
これもまさに感謝の正拳突き。
そしてこれは授業の指導法に限った話でもありません。
例えば教室運営。
以前見学させていただいき驚かされたいくつかの塾のシステムもまさにこれ。本当にひとつひとつ丁寧に先生方が仕事をするからこそ回るシステムであり、それがその塾の強烈な個性となって出ている。
これらの塾を見て「真似できない」と毎回言ってる私ですがそれはこのシステム導入したらはい完了というものではないからです。
真似したければやはり毎日同じように感謝の正拳突きをするしかない(笑)
やりますけどね、私は。そもそも私も感謝の正拳突きをやってきた人間だという自負はあるわけで。私がこれまでに創り上げてきたものもある意味同じ。簡単には真似できないものだと思っています。
しかしあくまで成長するには必要ということです。
そうそう、先ほど書いたシステムについても導入したら誰でも使えるなんてものはなかなかないような気がしますね。
スタディプラスのような学習管理系のシステムしかり、学びエイドのような映像授業システムしかり、これらもひとつひとつの仕事を丁寧にやっていかなければ本来のパワーを発揮できません。
やはりひとつひとつ丁寧にというのはあらゆる仕事において基本となることです。塾としてもどこかでさぼってしまったらひずみが生じ結局最後はおかしなことになってしまうのでしょうね。
無駄なものは丁寧にやる必要はない。それは効率化すればいい。例えば事務。手計算をやめ計算機に。計算機をやめエクセルの関数に。そしてマクロ組んで…とこれをやるデメリットがない。根性論の話をしているわけではないのです。
あくまで仕事には丁寧にやらなければできないことってあると思うんです。そこを効率化と言って端折ってしまうと元も子もない形骸化したものが残るような気がするんです。
という話をちょうど一問同心先生のとなりで生徒にしていた私
実は昨日の授業中まさに一問同心先生のとなりでそんな話を生徒にしていたんですね。
それこそ「感謝の正拳突き」の話を(笑)
いや「感謝の正拳突き」という言葉は使っていないのですがね^^;(しまった次回言おう!)
今回の授業のように入試現代文初学者の人に本文の読み方を指導すると確実に最初は読むスピードも解くスピードも遅くなる。
なぜなら私の授業は(誰でもそうでしょうが)まず今まで意識していなかったことを意識させることから始まります。
特に国語はそう。「なんとなく」というのを排除し自分でなぜなのかを説明できるレベルで思考させる。
そりゃスピードが遅くなるのは当然。
だからこそ。ここでしっかりと正しい思考の型がつかめたらそこからは感謝の正拳突きをスタートしなければいけません。
毎回その型をしっかりと守りながらそれを無意識レベルで発動できるように繰り返し繰り返し自分の中に刷り込んでいくのです。
だからこうやって私の現代文の指導を受けた子たちが十分な演習量を積まないまま模試なんかに臨むと現代文だけ解いて帰ってくる子がでてくるわけです。時間が足りなくてね。
私はその場合「うむ、仕方ない」と言いますが、それでは点数として出てこないので焦る子もなかにはいるんですよね。
そしてそんな子たちが型を守ることよりもスピードを重視した結果、本来の正しい型を崩し、思考の手順を端折りまったく違う型に変型させてしまう子が。
これはとくに型が見えにくい現代文で多くみられる現象ですが当然他の科目でもありえます。
大切なのはひとつひとつ丁寧に繰り返すこと。いやきれいか汚いかということではなくて思考の手順をひとつひとつまずは丁寧にやっていこうということ。
だから決してノートまとめをカラフルに飾れと言っているのではありませんからね(笑)
今回の現代文の指導でテーマに掲げたのは「思考をシンプルに」ということ。苦手な人は国語だとどうしてもマルチタスクをしてしまいがち。で、処理しきれなくなる。本文ガー、選択肢がガーとよんで選択肢ポンと選ぶて天才か!?ということです。
最初はもっと自分の頭の中で行っているタスクをアウトプットしてそれを可視化することで意識しながら解く。
そしてそれをこれからの演習を通じて無意識レベルになるまで落とし込んでいくということですね。
ということでひとつひとつ丁寧にという言葉はどこかの参考書だけでなく仕事にも勉強にも大切なキーワードではないかと思った一日でした。
今日はこのへんで。
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