[高校入試]志望校の選び方 第2章 パンフレットには書いていないこと

そいる塾長
そいる塾長

どうも、そいる塾長です。

志望校の選び方第2章。今回もあくまで何を基準に高校を選べばいいのかわからない子を対象にしたお話です。目標がないなら”頑張らないといけない学校”に行っておいて損はないというお話です。

塾をやっていると本当に夥しい量の学校案内が届きます。そのほとんどが私立なわけですが、今や公立高校ですら塾へ出向いてまで説明会をする時代。

ですが、志望校を選ぶとき、このパンフレットに書いておらず、説明会でも聞けない大切なことがあると思うのです。

さてそれは一体何でしょう?

 

最も大切な学習環境

高校へ行く目的は人によって様々でしょう。ですが共通するのは何かを学ぶため。それが数学や英語でなくても。となると最も重視したいのは学習環境ではないかと思うのです

やっぱり青春できる環境でないとね。ただ今回は第1章とは違ってとてもまじめなお話です。

 

「自分が”頑張ったら”いける近くの学校」を選ぶ意味

前回は、「青春」をキーワードに「時間」という切り口で近くの学校の良さをお伝えしました。

[高校入試]志望校の選び方 第1章「青春の1時間」
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そこでも少し書いたのが「本当に大切なことはパンフレットに書いていない」ということでした。

私自身は母校を選んで後悔はありません。他の高校に通ったことがないので比較はできませんが。

その理由を考えたときに出てくるのが「受験で”頑張って”よかったな」ということです。パンフレットも学校説明会もありませんでした。ただ単に偏差値というか内申点で割り振られた公立高校でしたがそれでもとても充実した高校時代を過ごすことができました。

今回はこの”頑張ったらいける”の部分が大切になります。

前回も書いたことですが、すでに何か明確な目標があって高校を選んでいる人のためのお話ではないです。何かにこだわっている人は、そのこだわりで高校を決めればいい。

 

おかしなこだわりには要注意

ただし保護者さんの目線からそのこだわりは本物か見極めてあげて下さい。何もない子ほど変なこだわりを持つことがあります。私はこれを消極的こだわりとよんでいます。(今名付けました。)

こういう子たちは自分で自分を洗脳するかのようにこだわります。でもそのこだわりに対して自分からアプローチする(例えば、情報を得るなど)ようなことはありません。

こういう子は危険だなと。その時点で選択肢を狭めるだけの結果になったり。

親が子供の選択に口を出すべきでないというのはわかるのですが、誰も決定しなさいとは言っていません。子供に考える機会や方法、つまり情報は与えてあげたほうが良いとは思うのです。放任も良いですが無関心は危険。

だからちゃんと考えているかは見ていてあげてください。年齢的に親には素直に話せない子が多いので、そんなときは学校や塾の先生を頼れば良いかと思います。

まあこの話はまた別の機会に。

とにかく将来の夢が明確な人はその夢に向かって最善を尽くして下さい!健闘を祈る!

閑話休題
ではここからは進路が決まらない迷える子羊ちゃんたちにまず一言。
行けない学校を選んでも仕方がない。

それが学力面でも経済面でも、”努力で”どうにもならないならきっぱり諦めよう。

特に経済面は子どもたちの努力でどうにかなるこっちゃない。今は私学助成があるので進学の可能性は広がりました。しかしだからと言って制服がブランドスーツ並み、修学旅行は何を学ぶのかわからない海外旅行、周りはブランドに身を固めたウェイなお友達という環境が本当にふさわしいかは考えたほうが良いのではないかと思います。私学の費用は入学金や授業料だけじゃないですからね。

前回からの繰り返しになりますがあくまで高校は通過点ですからね。

私立か公立かのお話は第2章以降に譲るとして今回のポイントは”頑張ったら”という部分。

”頑張ったら”の意味

「行ける学校じゃない、行きたい学校に行く」

どこかの塾か予備校の陳腐なキャッチコピーみたいですが、これってまさに頑張って行きたいところに行こうよってことですね。中学生や保護者様にこういう話をすると必ず、2つのパターンに別れます。

①この時点で合格できると信じて頑張れるタイプ

②この時点で諦らめてしまうタイプ

ただし前者でも、人によっては「頑張ったら」の部分を飛ばしてしまうのは困ります。半年後くらいに「先生は合格できるって言ったやーん!」とか言ってくるやつですね。

あとは頑張る基準がずれている人。私の言う「頑張る」と、彼らの「頑張る」の間のギャップには注意が必要です。

これもまた未だ「頑張る」の意味を知らない人たち。

ですが②のようにこの時点であきらめる人。こればかりはもう「頑張る」ことを完全に拒否した人。実は受験って、この場面からすでに半分勝負は決まっているのです。一つは与えられた情報を正しく理解する能力ですが、何より大切なもうひとつの大切なこと…それが自信

根拠のない自信ではなく、しっかりとした成功体験に基づいた自信。

学習の土台ともなるところですね。

もちろん彼らはまだ中学生。そんなに人生経験、つまり成功体験を積んでいない。だから学校の先生だったり、両親だったり、塾がある程度うしろから押して上げるくらいは必要かもしれないんですね。もしくは先を懐中電灯で照らして見せてあげる。

なにせ高校受験が人生最初の大きな「選択」の機会になるかもしれません。

親や塾がそれを勝手に思い通りにしてしまって折角のチャンスを奪ってしまうのは死罪に値します。あくまで「口を出しても手は出すな」の距離感でたくさん話し合うことは情報を与え考える機会を創出するという意味では必要かなと。(考えをアウトプットさせることはこういう場でも大切ですよ。)

受験が重要な選択の機会である=成功体験のチャンスともなりえるということ。

ただ間違えないでほしいのは、これは当然行き先の高校(結果)がどうのこうのではなく、行くまでの過程の話です。

成功体験としては不合格になるよりそりゃ合格したほうが良いに決まっています。しかしその成功体験もちゃんとした過程、つまりちゃんと頑張るという過程を経ていなければそれは歪な成功体験を生むだけです。

親が失敗から子供を守るために過干渉して安全圏を受験させる弊害がこれです。

たとえ不合格になったとしてもそこまでの過程がしっかりしていればその”挫折”は成功体験と同じくらいの価値を持つ可能性があると思います。

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高校受験も大学受験も合格した学校の名前を得るためのものではありません。当然そこで何をするかが重要になるのは言うまでもありませんが、そこまでどうやってたどり着いたかも重要ではないでしょうか。

大切なのは進学先ではなくそこへどうやってたどり着いたか。

こう書くと、「苦労することが美徳」というとっても日本的な価値観に基づいた考えのように思われるかもしれませんが、「苦労なんてしなくてよい」という言葉の意味は「苦労する必要がないのにしなくてよい」であって努力の否定をするものではないと思うのですよ。

例えば「やらなくてもよい宿題を一生懸命やれ」と言っているわけではないです。頑張らなくても目標の学校に行けるのならいけばいいんです。

私がここで言いたいのは「どこに行けばいいのかわからないなら、一生懸命頑張らないといけない学校をめざしてみてはいかが?」ということです。

高校は「何」で出来てる?

ぶっちゃけてしまえば・・・
高校なんてどこでも一緒。
極論ですけどね。いまは、公立であっても各校が特色を出すよう国から言われてる。だから切って貼ったようなわかりやすーい特色をつける。

国際社会で活躍する人材を・・・

ICTを活用・・・、アクティブラーニングが・・・

で、留学制度とかタブレットの写真をパンフレットに載せれば完成です。
高校生をたくさん指導していますがこういうのって入るまでしか言いませんよ…。ああ…タブレットね…みたいな感じ(笑)どっかの塾のキラキラキャッチコピーよりタチが悪い(笑)
 
そうです。パンダです。かわいいですね。

所詮、こういうのはどちらも客寄せパンダにすぎません。こんなもんはその高校の本質ではない。

だって留学するということはその高校では学ばないということ。ICTはどこか外部の業者か機関が制作しているものであってその高校の教育ではない。

つまりパンフレットに書いてあるかっこいい謳い文句はあくまで装飾品くらいに考えておくべきです。特に大学ばりに偉そうなこと言ってる高校には高校の役割って?と思うことがあります。

いやすごい高校ありますよ。本当にすごいことやっているところはありますよ。でもお宅の高校分数の計算できひん子いるやんってところが国際人育てようとするのはやめたほうが………やめておきましょう。

じゃあその高校の本質っていったいなんだ?

肝心の先生はどこもそんなに変わりません。というと嘘になるかな(笑)

まあ、でも比率は違えども、人気の先生から大したことないやつまでどこもしっかり揃ってます。

☑ 良い先生もいれば駄目な先生もいる。(何基準か知りませんが)
☑ 人気の先生がいれば嫌われている先生もいる(何基準か知りませんが)
☑ 熱心な先生がいれば干からびた先生もいる(何基準か知りませんが)

一応念のためもう一度いっておきますが、比率は違いますよ。学校全体に漂う雰囲気といいますか、熱量といいますか、そういったものはあります。

あくまで職場なので。どこの会社でも同じですよね。この熱量が高い学校の先生は熱心な先生が多い。ただ、本当に熱心かどうか、ビジネス熱血って先生もいますからね。

あと、空回りする先生。これは・・・ある意味・・・しんどいです。

ただしどこへ行っても、中学の先生と違って生徒との関係がドライになるので、中学のように粘質系の先生は少ないのでご安心を。スルーしやすくなります。

だから最悪の場合でもなければ、利もなければ害もない感じで済む。だからそんなに心配することはない。それより一切選択権がない公立の小中を乗り越えたなら何とでもなる気がします(論理が乱暴でごめんなさい笑)

※ただし新聞を賑わす悪徳教師はどこにひそんでいるか誰にもわからないのでこればかりは出会わないことをただひたすらに祈りましょう。

例えば灘高のように飛び抜けた伝統ある名門私立校には代々の教員によって受け継がれるDNAのようなものがあるのはなんとなくわかります。でも私立と違って、公立なんて10年もすれば先生は総入れ替えです。にも関わらず名門公立高校というものが全国各地いたるところにあって、灘高ほどではないにしても滅多なことではそのブランド力は崩れない。

となると「先生が学校の本質の訳がない」ということになる。だいたいパンフレットに「うちにはすげー先生がいるぞ」って書いてないわけです。逆に書いてたらどっかの健康食品のCMみたいで誰も信じないでしょうが。

では学校の本質となるものはいったい何なのか?

もうおわかりでしょう。

学校の本質とは・・・

 

 

学校の本質はそこに通う生徒

 

そうです、学校の本質は「そこに通う生徒」だと思っています。

公立小中の場合、ただ偶然にその地域に集まっただけの集団ですよね。しかし高校は公立であっても毎年、何らかの形で高校が要求するものをクリアしたある意味ではその学校の求める生徒層が確実に入学してくれる。

もちろん特色に魅力のある学校や専門性の高い学校にはその特色や専門性に惹かれる子たちが集まってくる。しかしたとえそんな学校であってもそのハードル、つまり合格のために必要な偏差値や内申点が高ければ高いほど、それを乗り越えるために求められる努力が要求されるようになるわけで