「勉強が苦手な人の方が教えるのが上手い」という件について

そいる塾長
そいる塾長

どうも、そいる塾長です。

最近あまりTLを追えていないのでどこが火種かはわかりませんがTwitterで話題だったのでタイトルみたいな内容が頻繁に流れてくるのでこの件について私見を。

んなわけあるかいっ!

以上です。

今日はこのへんで。

といいたいところですが、ちゃんと書いてみます。

今日はちょっとだけ裏そいるです^^;

Twitterの華

Twitterでは140字要約という制限下で書かないといけないのでなかなか文意が伝わらない。だからこそ文意が意図通りに伝わらず…揉める(笑)

これぞTwitterの華。

本来議論に向かないTwitterだからこそ議論が巻き起こりやすいのは面白いですね。

例えば、「勉強ができない人の方が講師にむいている」という表現。

私はあまり好きじゃないです。「むき・ふむき」って優性思想な感じしません?

おそらくその辺も長文で書けば別の言葉に置き換わるのかなとも思うんですがどうしてもTwitterだと簡潔にそう書いてしまってしまうんじゃないかと。

まさか本当に「勉強ができなかった人の方が指導者にむいている」なんて思っていないでしょう。

指導者としてのスタート地点での経験値をあたかも才能のように表現するのはよろしくないかと。

私は基本Twitter上でまきおこる塾同士のいざこざは全てプロレスでエンターテイメントだと思っています。

(これ言うとプロレスファンに怒られる可能性^^;)

いかに自分をよく見せるかで他者を批判しているのだと思っています。ビジネスだからでしょと思えば何でもいいやと。

以前学習塾の夏期講習批判をして炎上していた方がいらっしゃいましたが、実際裏を見ればその方の塾は月額費用が平均的な塾の2~3倍。夏期講習で20万とか提案してくる大手個別指導塾より年間総額ではよっぽど多く売り上げているわけです。

でもそれは絶対SNSでは出さないんですよね。上手いなと^^;

ただこちらもビジネスですから、自己の優位性は徹底的に出しますよ。ただしそういう方にマウントとっても裏で釣竿引っ張りながらほくそ笑んでいるんでしょうから、その人をコテンパンにいわすなんてことは一切考えてません。あくまでこれはプロレスです。

そのエンターテイメントを見て消費者がどっちに付くか。この興行で自分に合う顧客がそれで獲得できればいいと思うので、こういう時はちゃんと自分の色だけを出しておけばいいと思うんですね。

つまり今回「勉強ができなかった人の方が向いている」というのは確実に自分が勉強ができなかった人が言うセリフです。ある意味これは不可逆的な経験であって勉強ができてしまった人が絶対に手に入れられないものですのでこのマウンティングは確かに有効な気もします。

一方できる側は「大学数学レベルまで理解しておかなければ小学生の算数なんて教えられない」なんて感じでマウントを取りに行きます。学歴マウントもありますね。勉強を教える仕事ですからね、当たり前です。だからこれも抗うことが難しい強烈なマウントになる。特にこの業界における学歴は強い。本来の学歴ではなく大学歴の方ね。

保護者さんはあまり本来の学歴には興味がないようです^^;しかし開成卒や東大卒はスポーツで言うなら元日本代表という肩書くらい強い(笑)

さてこんな感じでプロレスが繰り広げられるTwitter。発信者がマウントを取りに行っているかどうかは関係ない。不特定多数が目にする状況で書くんだから相手がマウントをとられたと思うかどうかです。

なんかこの件では私もマウントを取られたような気分がしないでもないので、一応私もこのプロレスに参加してみようと思います(笑)

正味マウントとかどうでもいいんですが、「SOILが勉強できない子には向いていない」なんて思われたら営業妨害ですからね(-“-)プンプン

勉強が苦手だった人が教えるのが上手くなる理由と条件

まずは勉強が苦手だった人が教えるのが上手いという論が成立する理由について。

これはおそらく以下の理由から。

「勉強ができない子」の気持ちが分かる

さて、こいつが問題です。

そもそも「できる」「できない」の境界が人によって違うという問題はありますがそれは今回置いといて、この「気持ち」とは何を指すのでしょうか。この辺が140字のTwitter要約では正しく筆者の意図が表現できていない答案を目にします(笑)

できない子の気持ちとは

生徒
生徒

学校の勉強についていけなくなり、学校が面白くなくなり、塾に通うのも苦痛で、宿題なんてできる気がせず拷問のように感じる…

こんな状況の生徒の心情を読み取る能力のことでしょうか?

勉強ができなかった人ならこういった気持ちに共感し分かりあえるということでしょうか?

しかしこれはつまり同じ境遇・状況を経験済みだから分かるという理屈ですね。

つまり指導者になるまでの経験則で指導していると。となると同じ境遇・状況の方以外の気持ちは分からないとも言えます。極論そうなりますよね。

だから「できる子の指導は簡単」みたいな理論が出てくるんじゃないかと。もちろんこれは論外です。そんな人が「できる子」になる可能性を潰す。

結局この場合「指導の難しさ」が「ちゃんと言うことを聞いてくれるか」、「頑張ってくれるか」みたいな次元にとどまっているのが一番気になります。

塾での指導においてそれは非常に大切ですが、ではそれだけでしょうか?

しかし「勉強ができなかった」ため現状もその指導科目について理解ができない人のレベルにとどまっているならばそうなるのも無理もないかと。

できない子の思考回路

ではなぜ「勉強ができない子」は勉強ができないか。それは「やる気がない」だけではありません。つまり気持ちだけの問題じゃない。

となると本来の勉強を教える塾の腕の見せ所です。

しかしこの辺の「指導」が自称「勉強ができる先生」と自称「勉強ができない先生」とで異なることが多い。Twitterでも結構議論の的になるところですね。

しっかりとした指導というのはわかりやすく言えば「できない子の回路」を「できる人の回路」と同じようにする仕事だと思うのですが、ここでおかしな方法をとる先生もいるわけです。

できない子には「できない子用の回路」を用意して点数を取らせる方法です。

どっかの塾の教材みたいなやつです(笑)たしかにそれで80点が取れたとしましょう。

で?

その子は最後まで「できる子」にはなりませんよ。そこで終わりです。

それって結局「分かってないけど点数が取れる状態」を塾が作ったということ。

これこそ勉強なんて社会に出ても役に立たないという言説を生む元凶ではないかと。

だからこそ私は指導する側は必ずある一定レベル以上の教科に対する理解はないといけないと思っています。それは問題が解けるということではなく、その思考過程を正しく言語化し伝達できるレベルです。

このような「目先の点数を取るための指導」を勉強をし始めた生徒のモチベーションを上げるためのツールとして使うならまだしも、それこそが正解だと思い込ませたり、自身がそう信じているならそれこそご自身が「勉強ができない人」の最大の問題です。

しかし残念ながらそういう人は「できる人の回路」の存在を知らない、つまり「できる人」が見ている世界が見えない(というかそんな回路や世界は存在せず、できる人はすべて無から解答が発生していると思い込んでいる節がある)ので自分の狭い世界でしか判断ができない。

掛け順の議論なんかを傍から見ているといつも議論になっていない。どちらがとは言いませんが片方が論理を理解できないから。ものすごく丁寧に説明を試みるも全く論点がつかめていない様子です。おそらく全く伝わっていないんです^^;

これもTwitterの華ですかね^^;

やはりある程度はそういった世界を見せられるような指導は必要かなと。割り切ってやってるならビジネスとしてはありだと思うんですが、私は経営に支障が出るので一緒にされたくないです^^;

ですので私が一番受け入れられないのはこの辺かなと。たとえ仲の良いお世話になっている先生でもこの辺だけは違うもんは違うと言います。

その違いこそがSOILが選ばれるところだと思っているのでこの辺はTwitterでも意識して差別化しております。

勉強ができる人の指導の難しさ

逆に「勉強ができた人」はそこの過程をすっ飛ばして指導者になるとしましょう。つまり指導者になった時点で出来ない生徒と出会うとき、それは未経験のものに対峙することになるのは間違いないでしょう。

それに少なくとも「できる人」の思考回路にはどこかワープするような部分がある。これが「できない人」からすると無から何かが閃いているような印象を与えるのだと思います。

つまり無意識レベルで行う思考です。

いわゆる高学歴な学生講師がぶつかる壁はできない生徒の「気持ち」だけではありません。この無意識の部分を言語化する必要に迫られます。だって生徒もそこを無意識で処理できるわけではないですからね。そこを意識しないと、くっそ分かりにくいマイワールド的な授業が始まります。実際そんな先生わんさかいます^^;

ただし彼らには学力としてのアドバンテージはある。できない子の気持ちや思考回路はわからなくてもその指導している内容についての理解度や運用能力に関しては「勉強ができない人」とは雲泥の差がある。

ミハジを使わないと単位量当たりの計算ができない子がその後どうなるかは分かるというわけです。

教科への理解度が違うというのはつまりもう見えている世界が違います。だからおそらくこうやってTwitterで揉めるのもその見ている世界が違うのに同じ土俵で議論するからでしょうね。

ではだからといって指導者が勉強ができるかできないかで棲み分けるべきなのでしょうか?それってもはや子どもたちに均等にチャンスを与えないということですよね。できない子はこの世界だけ見ておきなさい的な。

私はそれがすごく嫌い。結局指それってあの人たちは頭の作りが違うから(見えている世界が違うから)という生徒が自分の努力不足を棚上げするときに使う言い訳レベルの理屈です。

指導者になりたての人が使うならまだしも学歴なんてたかが高校までの数年間の勉強の差です。こっから何年も指導者やろうって人がなんで自分は勉強する気がないのか分かりません。生徒には言うくせに。

あと先ほど書いた「できない子の気持ち」。これを勉強ができる人は理解できないと言われてもね…。

経験していないことは分からないって言うなら、では男性なら女子生徒の気持ちはわかりませんね。文系には理系の気持ちは分からないし、そもそも他人の気持ちがわかるわけないという話になりますよ。

そんなもん勉強ができるできない関係ない。なんか勉強ができる人は勉強ばかりしているから共感性がないとでも思ってませんかね…すごい偏見^^;


まとめると、勉強ができなかった経験があると共感できる部分が多かったり、「できる人」が無意識で処理する部分も手順踏んで言語化できたりするというアドバンテージがあるということなんでしょう。

しかしそんなアドバンテージ小6で英検持ってるくらいのなんでもないアドバンテージだと思います。後でなんとでも”まくる”ことができます。

高校生の時友達に教えるのが上手いと言われましたって子で教えるのが上手かった子は見たことないです(笑)講師としてのキャリアをそんなもんと一緒にしちゃいけません。次元が違うほどの場数と研究が必要です。

ちなみに私だって苦手だったものを克服した経験くらいあるんですけどね。でもその話を使うのはあくまで生徒側との距離を詰めるため。

生徒や保護者さんも言いますからね。「先生は頭の作りが違うから。」

これが飛んで来たら速攻で使います。ブログでも良く書いてますよね。高校入学時最下位近かったって。あれ書くと親近感がわくんじゃないかなって狙って書いてます(笑)

いや実話ですけど高校入試ではトップクラスの成績で入ってるのよ。ま、中学1年のときも5教科は3ばっかでしたけどね。こんなものどれを言った方が話を聞いてくれるかです。

勉強が苦手な子に聞く耳を持ってもらいやすいのは自分も苦手だったというエピソードなんですよ。そしてそこからのシンデレラストーリーです(笑)

別に入塾後私の子ども時代の何かで指導するんじゃないですし、別に頭の作りで塾講師やっているわけでもないんでね。

塾講師の能力は塾講師をやって身に着けるもんですよ。高学歴のお父さんが自宅で子どもに「なんでできないんだー( `ー´)ノ」って喚くのとは違います。

私たちプロなんで。あくまで才能ではなく磨いてきた技術で指導しているんです。

もちろん私の塾講師の土台に自分が学生時代に培ったものは大きく影響しているとは思いますが、そんなもん数パーセントであくまで塾講師として積んできたキャリアの方がデカいに決まっています。

私が学生時代に担当した生徒や上司(Twitter上にいるのでそいるめ、いつも偉そうに言いやがってこの野郎と思っていると思います^^;)には申し訳ないレベルでしたからね。

あ、ここまで来ていまさら言うのもなんですが一応言うておきますと、私はまだまだ成長過程ですが自分で自分を割と良い塾講師だと思っていますよ。じゃなきゃ塾やってないので。

毎日腕を磨いているので来年は当然今年よりいい先生になりますよ。

指導者として成功する条件

おそらく指導者として成功するために生まれ持った才能というのは見た目とかくらいではないですか?これだけは抗えない(笑)

自分がもう少しイケメンだったらJKたちの成績があと10点上がるんじゃないかとは良く思います^^;

しかし少なくとも勉強ができるかどうかは「講師にむいている・むいていない」のお話ではないです。それはあくまでスタート時点でのストックのお話しであってそこから足りないものをそれぞれ補えば済む話。

あえて言うなら勉強できなかった人はどっかでできるようになっておく必要があることと、生徒の気持ちは分かるとまではいかなくとも生徒のことを考えるだけの心はあることでしょうか。

学力が足りないなら勉強すればいいし、勉強ができない子の気持ちが分からないなら勉強ができない子と真摯に向き合っていけばいい。どちらも講師になった後でいくらでも経験できることです。

もちろんその経験の濃淡で差は出ますし経験値は同じでもレベルアップは人によります。ドラクエだってそうです(笑)

例えば個人の特性による得意なところと苦手なところですね。でもそれもあくまで才能なんてもんではない。

全パラメーターに均等に振るタイプの人もいれば、一極集中で全振りする人もいるでしょう。そうやっていろんなタイプの講師がいるのは面白いしこの多様性が子どもたちにとっても良いと思います。

どっかに自分とぴったりあう講師がいるはずですから。

だからこそ私はあまり自分と違うタイプの講師、違うタイプの塾、違うタイプの講師にマウントとるようなことはSNSでは言わない方がいいなと思っています。わかってないなと思われるの嫌なんで。少なくともステレオタイプで批判するときはその覚悟のもとでやらないとね。私みたいにイラっとする人はいるわけですからね。

「無知の知」ですかね。

どうしてもやるならあくまでプロレスで(笑)

Twitterはそう思ってやるべきだし、そう思ってみるべきかなと。

とりあえずこの塾講師になってからの経験の重要性を考えていない講師。講師になってから勉強しない講師、自分は完成されていると思っている講師。生徒の思考や目線を意識できない講師。

高校生の指導は難しいけど中学生くらいならとかいう人も嫌ですね。当然小学生の指導が一番難しいわけで。上の学年が指導できないのにどうやって教えるんやろと思います。高校の内容は指導経験が少ない、忘れている部分がある…ならまだいいですが、全く分からんけどみたいな人は大丈夫ですかね。

だって前方真っ暗闇で運転するわけでしょう?どこに連れていかれるか考えたら怖いですね。

こういう講師に当たると厄介かなと^^;

ですがそういうことってなかなか保護者さんには見抜けないもんです。

しかし話してみると結構その塾の先生がどのパラメーターに数値を振り分けているか見えてきたりします。そういうのを見ると自分のお子さんにあうかどうか見えるかもしれませんね。

そういう意味ではTwitterは面白いです。

中から沁み出してくる色んなのが見えますので。

ということで、以上プロレスしてみました。

今日はこのへんで。

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