【そいる塾長の独り言】”素直”な子は伸びる?(言葉の定義は難しい)

そいる塾長
そいる塾長

どうも、そいる塾長です。

こないだ保護者さんへの手紙シリーズでこんなの書いてみました。

【保護者さんへの手紙】勉強法を教えてくださいの件
「勉強法を教えてくれる塾を探している」保護者さんから一番よく聞くセリフ。ですがこれには実は大きな問題が潜んでいます。

基本的に私のクソ長いブログを中学生本人が読んでいるとは思わないので他の記事も保護者さん向けと言えば保護者さん向けなんですが、上の記事で書いたのは要は勉強法の前に「土台」つくりが大切ですってことでした。

なんだ…1行で終わる話を私は何千字もかけて書いたのか…orz

私のブログが長いのはどうしてもこういう問題を話すときの用語の定義が読む方によってバラバラなのが怖いからというのは理由の一つです。今日は次回からまた勉強法のお話をするためにもそんなお話を。

 

言葉の定義って難しい

※画像で悩んでいる感出そうと思ったら関係なさすぎました笑

例えば「暗記」という言葉。暗記するといってもどのレベルのことを言っているのか人によってバラバラです。

これはTwitterをやっているとひしひしと感じるのです。140字という制限のなかでこんな定義が曖昧な言葉を使ってしまうと危険極まりない。それは違う!あーだこーだ!というのがいたるところで繰り広げられています。これがTwitterの華なんていうのですが、私はビビリなので怖い。

「単純暗記よりも理解を」なんていうと「暗記は必要だー」って怒られるんですがそういうことじゃないですよと。そりゃ暗記するよと。暗記無しで勉強なんて出来ないしね。で、書いた記事がこれ。

【そいる塾長の独り言】気になった教育関連ニュース ー暗記科目の用語削減についてー
そいる塾長 どうも、そいる塾長です。 前ブログからのセルフリライト記事になります。 結局歴史の用語削減は結局回避されたようですね。で、生物が削減と。生物はより思考問題にシフトということですかね。ただち...

私の誤解されたくない恐怖心が伝われば幸いです(笑)理解を伴わない暗記をしないでということは理解を伴って暗記してということです。暗記しなくて良いなんて一言も言ってないわけです。

他にも例えば「数学は暗記科目だ」なんてのは可燃性が高いですね。どこかで炎上していました。「問題集は○周しろ」とかもよく燃えやすそう。

なんでそう思うかと言うと、明らかにその背後にある考えがばらばらなせいで、一人ひとりその言葉から全く違うコードを読み取ってしまう可能性が高いからです。

コード…、コード…コード!?

コードと言えばTwitterにはこんな素晴らしい側面もあるのですよ。


かなり長い連ツイなんですが、高校現代文必須テーマのテクスト論について予備校の先生がめちゃめちゃわかりやすく解説してくれています。こんなのが無料で読めるわけです。素晴らしすぎる。Twitterの陽の部分ですね(笑)みなさんはしっかり一度全ツイート目を通してみて下さい。高校生は必須!国語を教える身としてはとてもテンションがあがるツイートでしたのでご紹介。」

そうそう、なんでこのツイートを引用させてもらったかというと今回は現代文のお話ではなくですね、このテクスト論に出てくるシニフィエシニフィアンのお話をしたかったんですよ。いや、する必要ないかもしれませんですが、言いたいのでお許しを(笑)


このへんですかね。私がお話したいのは。

あんまり今回の話とは無理やりつなげるようで申し訳ないのですが、それでも「暗記」という記号を見てもそこから読み取る意味は人によって違うということをご理解いただきたいのです。

簡単に言えば小学生が漢字を「暗記する」のとここで言う「数学は暗記だ」の「暗記」が同じ意味を持っているとは考えられないのですよね。だからそのツイートをどんな人が読むか、そして「暗記」という語にどのような意味を付与しているかにズレがあるからこそ炎上するのかなと。(もちろんそうじゃない場合もあるとは思いますが)

 

 「素直」という記号がもつコード

ということで今回のテーマ「素直な子は伸びる」についてです。

これも実は賛否両論ですね。

しかしそれもやはり「素直」という言葉がもつコードの読み取り方の違いかなと。

特にこの言葉に反論する方は「素直」=「従順」「受動的」「自分で考えない」と捉えている気がします。たしかに勉強できる子は自分で考えてやるわけです。そういう意味では学校などで言われた宿題を淡々とこなすことが「素直」の定義だとすればそれは大きな間違いです。

私がよく言う作業を永遠やってしまうような子。考えていないんですよね。

そういう意味で捉えてしまうと私は全く素直ではなかったと思います。作業がとにかく嫌いでしたからね。でもあまり先生には嫌われませんでしたよ。内申点もよかった。その辺は世渡り上手だったかなと。

ただ自分が嫌いな先生とは職員室で怒鳴り合いをしたこともあります。内申点を握られていない高校になってからですが。だから私も素直でなかったけれども素直じゃないとだめだとなると自分を否定しなければいけなくなるので、どちらかというと「素直」だけじゃダメですよ派です。

私の話はおいておいて、あくまで「素直」を肯定的に捉える際には「自分で考える」という過程は通過してのこと。しかし通過するも何も、言われたことに対して「自分で考えようとすらせず拒否するレベル」、これを素直ではないと定義したいと思います。

私はこれまで面談(あ、面談も長い方だと思います…笑)回数1000回以上は経験しておりますが、その中で何度もお母さんに成績が悪いのは勉強法ではなくその土台が出来ていないというお話をしています。先ほど紹介した記事の内容ですね。これを簡潔にどう説明するかというのが問題となります。”素直”というと”性格”の話だととられて怖いなとも思うので注意が必要な言葉ですね。人格否定みたいに思われるかもしれません(心配性なんです、わたし)

ではその素直という言葉をこれから中学校の勉強法をお話するために使う場合、どういう意味で使っているのかを書いておこうというのが今回の大きな独り言です。

 

素直でない子=自己肯定感が低すぎる子

自己肯定感が低いといわゆる「やる気」がない子になってしまう。それはどうせやっても…という諦めと、やって出来なかったら損をするというおかしな損得勘定が原因だなと思うことが経験上多かった。

「天秤が壊れている」と私はいつも言うのですが、例えばこれから頑張って勉強すれば近所のやりたい部活のある学校に行けるというと、頑張らないといけないなら遠くの学校で部活がない学校でも別にいいという子。

「勉強を頑張る」ということと「部活ができない」「電車で往復2時間かけて通学」を天秤にかけてもまだ「勉強を頑張る」が負けてしまうのです。

こうしていつまでたっても成功体験をつめないので自分は「できない」と思い込むようになる。

私はこういう子を「素直」じゃないと呼びます。

逆に「自己肯定感」がありすぎる場合もありますね。

 

素直じゃない=自己肯定感がありすぎる場合(自信に根拠がない)

過剰な自己肯定感は根拠のない自信に拠るものの可能性が高いかと。

例えば過保護に育てられた場合。幼いころからあなたは世界で一番可愛いのと言って育てられたら自分をアイドルだと思い込む的なやつです。そしてそのまま気づいていない人。

子育てに関する話で子どもに「かしこい」という褒め言葉は使ってはいけないと言われました。これは褒められたのが才能の部分になってしまい、子どもが成功までの過程を褒められていないため、将来努力しなくなる…なんてお話でした。実際はどうなのか知りません。ちなみに私の息子は何かに成功するとすでに自分で「ぼく天才!」といってます…、親の責任ですね…orz

ま、うちの息子を心配している場合ではないのですが、過剰な自己肯定感も「素直さ」の邪魔になり得ます。根拠がないのが厄介。こういう子は結果がでなくても別の原因を創り出すのがうまい。

高校生を指導していると偏差値が60にちょい足りない公立高校の子とか、完全なる自称進学校(偏差値50前後)の私立に通う生徒に多いです。私の経験上はあくまで相対的に多いと言っているだけです。(はい、偏見です、申し訳ありません。)

おそらくは中学でなかなかのできる子扱いを受けたものの、難関校受験という高いハードルを回避し、予定調和な状態で志望校合格という状況を作り出してしまったからかなー…なんて思うことはあります。

プライドが邪魔をするというのでしょうか…しかしこの場合も自己肯定感が低い子と結局同じことになると思うのです。

結局どちらも現状変更を望まない。この1点かなと。自分のやり方を求めて三千里みたいなことじゃなくてスタート地点でとまったまんま。動いていないんですよね。そして言い訳がうまい(笑)悪気なくやっている可能性もありますね。

自己肯定感が低い子は成功体験を積ませると爆発することがある。私の得意なのはこっち。最後に書きますがこれはいかに「強制」を上手くするかだと思います。強制ではない強制。

苦手なのはこの変な自己肯定感を持っている方。変な肯定感があるのでモチベートできない。本人「やってるし!」なんて言っちゃうので。どちらかと言うと気づかせることが大事かなと。気づいたときには遅かったが高校生では多いですが…。

 

 

でも、だっては禁句

さて次回から(前の)ブログを始めたときに最初に書いた記事をリライトしていこうと思っているのですが、、”素直”という言葉を自分なりにどう解釈しているかは書いたので堂々と書きますね。

勉強法を教える上で絶対に言ってほしくない言葉を。

それが「でも・・・」「だって・・・」

なんでも聞く前から防御壁をつくってガードしちゃう子は本当に成績がのびません。

せっかく塾に来て、超がつく勉強のプロたちがアドバイスしてるんです。

ということで”素直”な気持ちで聞いてくださいね(笑)

現状を変えたくないのはわかります。普通、正しい勉強法となると間違った勉強法よりも負荷がかかります。つまりしんどくなるんですね。だから自己肯定感が低い子はそれをやる自信がない、そしておかしな自己肯定感にまみれている子はぬるま湯から出られない。

だから自分を変えないままになんとか現状変更を目論む。その発現たるものがこの「でも」「だって」です。

これは大人でも一緒です。せっかくアドバイスしても「でもさ~」。

あ、男性陣!女性から恋愛相談された場合はアドバイスしちゃダメですよ。確実に「でも~」って言われます。最初から聞いていないんですよ。アドバイスなんて求めていないんです。(と、偉い人が言ってました。)

これと同じだな~と思うんです。求めていないなと。勉強がしんどくなるのが嫌だから。

でも成績上げたいじゃないですか。理解が出来て点数上がったらちょっとは楽しくなりますよ。少なくとも塾に来た以上は成績上げたいということになってます。じゃなかったら来ちゃダメ。

成績は上がらないわ、自分で何やっているかもわからない無の時間を他の子と同じように過ごす。でも結果は自分だけでない。褒められるどころか叱られる、ちゃんと言われた”時間”やったのに。

こんな不幸な話あります?

ということで言われたことをとにかくやってみる。やったことがないんだから、やってみないとわからないでしょうよ。まずはやってから言おう。

これからお話する勉強法は基本中の基本のお話。まずは話を聞く前に拒否するのではなくなぜそれが必要と言われているのか”考える”ことが大切です。

やってみるとは言いましたが、なんでそれが必要なんだろう?って考えてほしいんですよね。

これから行きていく上で自分の「できない」を「できる」に変えていく学びって何より大切。因数分解よりも、本能寺の変が何年に起きたかよりも大切になることだと思います。

とにかく考えてみましょう。それが勉強法です。

強制はよくない

わかります。強制されてやるもんじゃない。でも最初にちょっとした強制は必要では?スポーツでも勉強でも、なんなら生活習慣もそうじゃないですか?

あ…、ここでいう「強制」の定義はですね…

やめておきましょう(笑)

強制はモチベートのためなら多少は、そして特に最初は必要かなと思います。ただやはりそれに対する生徒のレスポンスは見ないとね。それに反応がこないなら即刻やめるべき。どちらにもメリットはない。ならば上手く強制というのを使えるかどうか、それが指導者の腕かなと。

「嫌がっているからやらせない」なら誰でもできる。「嫌がっているのを無理やりやらせる」のもまぁできる。

勝負は嫌だと思っていたのに始めてみたらまぁ不思議、楽しくなってきちゃったよ!大切だと思うようになってきたよ!だからこれからは強制されずに自分でやっていくよ!

これができる達人になりたいですね。

次回は中学生のテスト前の勉強法について(予定)です。

 

 

今日はこのへんで。

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