どうも、そいる塾長です。
ノートまとめの意味
現在の公立中学(このあたりだけの話かもしれませんが・・・)の「形だけ勉強させてる感」が、正直言って私・・・大嫌いです。
中でも嫌なのが、毎回の授業ごとに宿題を出さず、テスト前にまとめて・・・
と、出すんですよね。いわゆる提出物というやつです。
おかげで大半の中学生は塾以外で勉強する時間なんて普段は0。うちの塾でも入会間もない子は受講科目以外ほぼ確実にテスト1週間前の時点で知識0から勉強スタートです。そもそも授業すら聞いていないので今どこを授業でやっているかすら理解していない子も。
これでは確実に間に合いません。
宿題とは復習であり、授業の直後に行うのが最も効果的です。
なのにテストまで何の復習もさせず、テスト前にまとめてドーンと提出物という名の宿題を出すとどうなるか、少し考えてみればわかりませんか?
一番問題なのは、何も覚えていないこと以上に、そこから提出物を「終わらせる」ことに時間を使ってしまい、テスト勉強をする時間が無い子どもたちが大勢生まれてしまうことなのです。
何を目的に宿題を出しているのか考え直さなければ、子どもたちの学力低下は止まるはずもありません。
特に私が問題視しているのが社会や理科に多い…
Aさんはカラフルな絵がたくさん描いてある「よく出来ている(風な)ノート」を提出。ノート点はクラス最高。ですがテストは40点。平均点もとれなかった。それでもノート点が良いから評定は上がる・・・。
例えば↓みたいな感じ。現在うちの近所の公立中学ではこんなノートの評価が高い。
出典:授業・講義、試験勉強のための、効率的なノートの取り方
ちょっと待てよと。ノートまとめした結果が40点。そのノートを誰かに見せてあげて、その子が得点アップしたとかならまだしもそのノートを使って勉強した唯一の人間であるAさんが40点だったってことはそのノートまとめの価値は40点しかないんじゃないの?
だってノートまとめって手段であって目的ではないですよね?
結果が40点ならノートまとめの評価も40点だと思うんです。だから↑みたいなノートは私にとっては最悪のノートです。
だって、↑のノートって絵を書くことが目的になってしまっていませんか?これが教科書には載っていなくて学校の授業なんかで先生が板書したものをこのようにまとめたとかならいいんですよ。
私は絵や図も模写することで頭に入りやすくなると思っています。地理の山脈なんかを覚えるときは日本地図を書いてそこに山脈を書き入れながら暗記させたりします。絵や図は「書く」ことで暗記しやすくなると思っているからです。
でもね、きれいに写す必要はない。もっと言えば「バカ丁寧」に写す必要なんてまったくない。
キレイで詳しい絵や図を見たかったら教科書や資料集に載ってます。それを見て頭に入れたらいい話。上のノートが教科書の模写ならそれを写すことに夢中になっていて頭にいれることを放棄した例ですね。美術の授業じゃないんですよ。
だから逆に、鉛筆オンリーの自分にしか読めない字で授業中の先生の話を殴り書きしてる美的センス0みたいなノートで100点取ってる人がいたらそのノートにこそ100点の価値があるはずです。他人が見ても意味不明で良い。
だってその子にとってはそれが100点をとるためのノートなんですから。
勉強できる芸人のノート
以前、アメトーク 「勉強大好き芸人」でこんな企画がありました。
京大芸人で有名なロザン宇治原さんとパンサー尾形さんが世界史の授業を受けその後にテストをする企画。結果からいうと宇治原さんが98点。尾形さんが0点でした。
あくまでテレビの企画なので演出が入っている感はしますがそれでもこの企画で出てきた2つのノートをみてもらえれば、良いノート(点数を取れるノート)とダメなノート(ノート作成が目的の意味のないノート)の違いを理解できると思います。
まずはその時の世界史の授業の板書
お次は尾形さんのノート(0点のノート)
最後に宇治原さんのノート(98点のノート)
別にこんなことはアメトークでやってもらわなくても、出来る人ならみ~んなわかってます。教えてもらわなくても自然とこうなっていくんです。
それをどこでまちがったか、誰かが平気で嘘を教える。しかも教育の現場で。
だから出来るもんもできない。もっと言えば自分の勉強法を確立している出来る子たちも、そんなおバカな先生の勘違いに付き合わされる。
なお現在の公立中学では宇治原さんのノートでは評定が下がってしまいます。尾形さんのようにカラフルにしなければならないらしく、また字も丁寧に書かないといけないそうです。
じゃないと4はつけられませんね~
だそーです。これが現在の学校教育のスタンダードです。(近隣中学の)
まとめノートと授業ノートごちゃまぜ問題
授業中にノートをとるのと教科書をまとめるのはまた少し違うので注意が必要です。
まず授業中のノートはとるべき。教科書に書いていないことを先生が話したり板書したり・・・。そこをメモしながら授業内容を自分の分かる形に整理していく。
まさに宇治原さんのノートですね。
写すのは意味がない。そこには自分の思考が介在しない。情報が黒板からノートに移るだけなら最初から先生がプリントにして配ったほうが良い。
ノートに情報が移るときにノートを取っている人の頭の中を通過するかどうか。これが全てだと思うのです。しかしこれは先生の技量次第かなと。授業中なんですからそれをちゃんと指導すれば良い。
逆に教科書など文章で押してくる構成の教科書をまとめる場合は一人ですからね。それが一番の難しいポイント。
まとめること自体に一定の意味はあるとおもいます。その作業を経ることで、ただ読むよりも集中力も増しますし、イメージ化も進むかもしれません。
もちろんそれはあなたにまとめられる技量があるならばです。だから当然、ただ写すだけでは意味がありません。
そんなことをする暇があったら参考書やテキストのまとめページを読めばいい。だってプロがすでにまとめてくれているのですから。そちらのほうがインプットする方法としてはシンプルで初心者向け。
でもやめなさいって言ってもなかなかやめないんですよね笑
なぜか?それはインプットするというのが負荷が大きいからです。何も考えなくてよい作業は没頭できる。ここで間違ってはいけないのはインプットすることに没頭するんじゃないということ。何も考えず心を無にして写経するということ。つまり「書くだけ勉強法」と同じ結果になるということです。
だからアメトークには感謝です。あそこまで駄目な例がわかりやすいと、実際見た生徒もギャーギャー言ってました。生徒は先生の評価方法を信じ切っていますからね。
カラフルな図や絵がいっぱい書いてある作業量の多い頑張った感が出ているノートを創ることが正しい勉強だと信じちゃっているわけです。
作業量だけはこれまでの「だけだけシリーズ」でも断トツNO.1ですからね。だからこそ逆に言えば効率は非常に悪い。
勉強できない子は作業に集中しすぎて脳死状態で手だけが動いている。そんな感じの人が多いのは間違いありません。そもそも自分に要点をまとめるような技量があるのか考えるべきです。
いや、そもそもまとめるのはインプットの事前準備。そのあとインプットしないのに下ごしらえだけする…。これって前回「丸付けするだけ勉強法」のところでお話したチャーハンのお話ですよ
。ほんま「炒めて」です。
結論としては今回もやはり「だけ」ってのが問題ですね。何を目的にノートをとっているのか考えて欲しいわけです。
テスト前必死でノートまとめしてる悪い子はいねぇかぁ~?
それがテスト前日だったら絶望です。インプットもアウトプットもすることなくテストです。
よほど要領が良い子でもない限り、テスト中に「見た覚えはあるんだけどな~」で終了です。
結局教科書からノートへ情報が移動しただけで自分の頭の中に入っていないわけです。
教科書を見ながら問題集の解答欄を埋めるのも同じ
この辺の違いが感覚でわかるような子でないとこのような勉強法は無駄になる可能性が高い。
これも練習です。それはノートまとめの練習とかではなく「理解するということがどういうことなのかを知る」練習です。それはなにかの本に書いてあるようなことではなく、勉強する上で自然と身につけていく学習態度によってつくられていくものです。
目的意識がしっかりしてくるとどんなときでもこの三角形が自然とできるようになります。
これが勉強の土台です。まだこちらをお読みでない保護者さんはぜひこちらを。
まとめ
いかがでしたでしょうか。とりあえず中学生がテスト前にやってはいけない勉強法として5つの「だけだけ」勉強法を書いてきました。のちほど中学生のみなさんに読みやすくまとめたページを作ってみようと思います。
ただ、やはり私が危険視しているのは勉強法の形だけを真似て、その目的をズラしたおかしな学習態度で取り組んでしまうこと。それが怖いからこんなにも長々と書いてきたのです。
その点だけは気をつけてくださいね。
今日はこのへんで。