どうも、そいる塾長です。
解くだけ勉強法の問題点
今回はシンプルです。その1「読むだけ」、その2「書くだけ」とちがって「解くだけ」はなぜダメなのかがわかりやすい。
学校や塾でも解答を配らない先生がいらっしゃいます。
もちろん次週の授業時に解答を配り、それまでとことん考えさせるために解答は配らないという塾もあります。進学塾でしか出来ないとは思いますが、宿題は出来ないといけないもの、そのためにはとことん考えてから授業へ来て授業でそこを確認するというようなサイクルで指導できるならば非常に良いかなと。
それに簡単に答えを見ずにとことん考えてみる。これは本当に大切です。大学入試のときなんて1時間でも2時間でも考えたもんですよ。
ではそうじゃない(その宿題に対してのフォローがない)公立中学や高校で解答を配らないのはなぜか?理由は単純です。
これはやっぱり駄目だと思います。とくに学校のような集団での指導においてなぜ基準を最底辺に設定するのか?なぜちゃんと勉強する子がしない子のために学ぶための機会を逸してしまうことに我慢しなければいけないのか。
現在公立中学で配布されるワークなんテストのときに何十ページも演習しまとめて提出です。宿題ではなく「提出物」です。そして解答がもらえるのはテストの直前だけだったりするアホな学校もあります。
その昔近隣の公立中学は国語のワークの解答を配らなかった。あとで配るんじゃないです。配らないんです。つまり解答なしで勉強しろと言うことです。国語ですよ?無理じゃない?(笑)結局解答を配られたのは卒業式の後でした。ほんと(自粛)ですよね。怒り狂い破り捨てようとする生徒をなだめ、後進のためありがたくいただきましたが(笑)
学校がコツコツ勉強することを否定してどうするんだと。
それにやっぱり解いた問題が正解しているか気になるじゃないですか。いや気にならないといけない。試行錯誤して解答を捻り出した。でももし間違っていたら?それがわかるのはテスト直前…それではね・・・(^_^;)
間違ったまま頭にインプットすることになっちゃう可能性もあるわけでね。
できる問題ばかり解いていてもそりゃ点数はあがりません。(計算スピードとかは上がるかもしれませんがね。)やっぱりできない問題を一つずつ潰していくのが点数アップの何よりのポイントになります。
だからさっさと丸付けしてできなかった問題に取り組みたいはずなんですよ。
自立学習には絶対必要ですよね、解答。
自分で勉強するときに解答がないものは手を出さない
だから私は解答のないものはやるなと生徒に言います。
だってあってるかどうかもわからないのにいくらやったって練習にすらならないでしょ?
あるあるです。あるあるすぎて笑えません。
だから解答つくりますよ。
わたしが。
無駄ですよね。
この時間。
私が解いても、解答見ても正解は同じですよね。
私が勉強しても意味ないですよね。
解答作る暇があったら、間違えた問題や分からない問題を教えてあげたいんですよね。
その時間なくなりますよね。
ということで学校の先生からはお給料を頂いておりませんので、ご自身でその宿題を生徒のための学習として完結できないのなら解答を配って下さい。
高校の選び方の意外なポイント
ポイントと言うほどのことではないんですが、宿題の出し方見ると学校がどういう方針かわかります。厳密には先生ごとの趣味嗜好なので学校という単位で括るのはどうかと思うんですが。
実際京都の進学校みてもトップ校は自由。勝手にやれって感じ。
2番手から偏差値58くらいまでのなかに課題漬けにしてくる自称進学校が多いです。
とある学校は数学は宿題なし。英語と古文の宿題が山盛りみたいな意味不明なことをやっているとこもあります。SGHだと英語の課題が増えるみたいですね。しかもそれがSGHであるための課題だったりします。受験シーズン真っ盛りにエッセイ提出とか。
その辺は理解しておくべきですね。
で、私が結構気にするのが数学の宿題の定番問題集に付属する解説集を配るか配らないか。
名目は簡単に解答を見ずに取り組むため…となっているかもしれません。一応「解答」だけはどの問題集も「略解」というかたちで載っているのであっているかどうかはわかるのですが、当然過程は載っていないので少なくともわからない問題と出会った際に自己完結はできない仕組みになってしまいます。
こういう学校は答えを写すからって考えている学校の可能性が高いです。
基準をそういう層においている。自立させることより管理することを優先しています。お子さんの特性に合わせてということにはなりますが参考まで。
何れにせよ、先程書いたようにこうやって小学校で先生がはなまるをつけるのに始まって、高校では解答を配らない。
いったいいつ解答の使い方を教えるんだよと。
解答があっても丸付けしない人
いますよね。解答があるのに丸付けしない人。
例えばしっかり解答を配布されている中学生の男の子。テストまでにワークを30ページも解かなければいけません。この子がとった方法は…
②わからない問題は飛ばす。
③あとで全部まとめて丸付け
④以上
なぜか。だって自分が問いている問題があっているかどうかなんて気にしない。
宿題を終わらせるのが目的でその演習から何かを学び取ろうとするその宿題が出された本来の目的に対する意識は微塵もないわけです。
今の形だけの勉強法を強制する学校の提出物という名の押しつけがこの作業員を大量発生させているのは言うまでもありません。しかし、この事に気が付かないまま作業を続けていると、しんどいだけで成績は上がりません。
しかし周りからみると頑張っているように見えるから厄介。自分のお子さんが頑張っているのに成績が上がりませんという保護者さんはぜひここをチェックしましょう。
これこそが解答の使い方を教えてもらわなかった事による典型的な弊害です。
解くことは勉強じゃないですよ?
「読むだけ」、「書くだけ」のところでもいいましたが解くというのは自分のインプットしたものつまり頭のなかにある知識をつかって考えそれをアウトプットできるかの確認です。
だからそのときに「みはじ」なんかを使ってしまうと本来頭の中のあるべき動かし方とは違う方法で解けてしまうので算数の本来の目的とはズレてしまい、答えを合わせることこそ目的みたいな香ばしい香りがしてしまうのです。
ただし「みはじ」を擁護するならばそこまでの複雑な考えができない人のため(1から10までできない人のためにまずは速度計算以外のところ、例えば文章題で立式するための情報の読み取りなんかに集中するため)の補助輪として使うということなら理解は出来ます。
それができるようになったら補助輪を外すということですね。たしかに今の学校の指導スピードをみていると「みはじ」が代替する部分の指導時間は全く足りないのはよくわかりますので。
あ…話がそれてしまいましたね、しつこいですが「みはじ」に対する私の考えはこちらを。
話を戻します。
頭で理解しているつもりでも出てこないものなんていっぱいあるわけで、さらには消えていったものもたくさんあるわけで…それを確認する。
なのに答え合わせをしないとな?意味なくね?(笑)
しかし彼のような作業員は、とにかく終わらせるということが目的で立ち止まることもしないような勉強法では当然そんなことはできません。
今の形だけの勉強法を強制する学校の提出物という名の押しつけがこの作業員を大量発生させているのは言うまでもありません。
しかしそれはめっちゃ高度なこと。
どこを探せばいいかすらわからない子がいる。我々がついていればそれをサポートできる。
でも一人でやっているなら解答だけしか頼れるものはない。
まずは解答を見て勉強をしていく方法をしっかり身につけましょう。
それは解答を写すのではなく解答からどう考えればいいかを学ぶということです。
えー、ここまで書いておいてなんですがちょいと事情がありまして今日はここまで。
ということで次回「丸つけるだけ勉強法」で解答の使い方については書いてみたいと思います。(急遽作りました^^;)
解答を写してしまう人へ
人生を無駄にするな。以上。
今日はこのへんで
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