どうも、そいる塾長です。
勉強で大切なのは形式ではなく意識の仕方です。
というお話。
それは才能の差なのか
クラスに一人は必ずいるであろう、あまり勉強しているように見えないのにいつもトップクラスの成績をとる子。
こういう子ってスポーツ万能だったりもするんですよねw
で、こう呼ばれます。
しかし本当にそれは遺伝子的な何かなのでしょうか。
そういった要素が皆無であるとは言いません。しかし自分に才能がないというなら、せめてそういった「天才」みたいな子たちと「同じ」ことをやってから言いましょう。
「同じ」こととは?
成績のいい人たちと「同じ」ように勉強しましょう、というと最初に思い浮かぶの勉強時間ですね。これが足りないなら勝てるわけないです。当たり前。
だって才能は負けているわけでしょう?じゃあ努力するしかないじゃないですか。だって相手は天才なわけですから。
しかし困ったことに同じ時間勉強しても勝てないんですよ。だって相手はリードしているわけです。スタートで出遅れた選手は後半前を走る選手よりも早く走らないといけません。
ということで人よりも努力しましょう…ということになるのですが、今日はそんなお話ではありません。
本題はこれ↓
同じ学校・同じ塾・同じ先生・同じテキスト・同じ勉強時間・同じテスト…何もかも「同じ」ように勉強していても差は出ます。そしてそれは才能以外の部分が大きく関わっていますよというお話。
例えば、英語の授業中
はい、この例文とても大切ですよ。
と先生が言ったとしましょう。
あなたはどうしますか?
線を引きます!
はい、これが普通ですかね。
しかし実は線を引くという行為をしている時点で「できる子」と「できない子」の間にはすでに大きな差が出ています。問題は線を引くという行為ではありません。
そのとき頭のなかで何が起きているかの違い。
例文が重要といわれたその瞬間、その例文を頭の中で反復し覚えにかかっているか、その例文がどうしてその訳になるか考えているか、習った英文法がどのように使われているか確認しているか…
これら頭のなかの動きはすべて線を引くという動作には現れてきません。つまり見た目ではどの生徒も全て「同じ」ように勉強しているように見えるのです。
例えば、数学の授業中
∠ABC=∠DEFということは…
(ということは△ABC≡△BCDってことやから…)
この時点で…の部分を先に考えながら先生の解説を聴いている人と、先生が…を言うのを待つだけの人。
「聴いている」人と「聞いている」人、つまり考えながら授業を受けている人と、音声を受信しているだけの人。
わからなければ後で質問したり調べたりしようと印をつけている人と、「何言ってんだ子のおっさん?」と思っているだけの人。
後で板書を写すという行為は同じでも毎授業ごとに大きな大きな差が生まれているのです。
例えば社会の授業中
ですから私が昨日食べたお芋の煮っころがしが大変おいしくてですね・・・
この先生何しゃべってるの…
先生の授業がめちゃめちゃわかりにくい…。こんなとき、聞いているふりをしながら教科書やら資料集をひたすら読んでいる子と、念仏をひたすら聴き続けている子では同じように寝ずに授業を受けていても当然同じ1時間を過ごしたとは言えない。
こんなのは無数にあります。もちろん自分で勉強しているときも同じです。
丸付けなんかには一番大きな差が出てきます。
見えないところで差がついている
勉強でもなんでも一番差が出るのは、実は他の人から見ても分からないところ。
どうしても勉強法っていうとこういう見えない部分は手の入れようがなかなかないので、可視化しやすいところばかりに目が向きがちです。
もちろん形式だって大切です。習慣化もそうですがまずは型から入ってそれを当たり前のレベル(無意識にできるレベル)にすることは大切。
しかしそれには時間がかかります。少しでも短縮するには意識すること。スポーツや趣味なら楽しいから何も考えず続けていたらいつの間にかできるようになるかもしれません。
しかし勉強は残念ながらつまらない。だってできないから。だからこそ意識する。意識して早くそこから脱出する。
授業中・宿題をやっている最中・テスト勉強中…、毎日毎回意識すること。
おそらくは皆さんが天才と呼ぶ人たちの9割以上はこれができている人です。遺伝子ではなく。天才ではなくいわゆる「できる人」。
彼らはもしかしたら無意識でやっているのかもしれません。それは幼い時から積み重ねているからもう意識しなくてもできるのです。だから自分と「同じ」ようにやっているように見えてしまうが結果だけ全く違ってくる。
いつの間にか単語を覚えているから暗記力がすごいからそれは才能。初めて見る初見の応用問題を解いてしまうからそれは才能。という勘違い。
それは自分と同じことをやっていると思い込んでいるあなたたち自称凡人の勘違いです。
ただ外には表れてこない部分をやっているか、いないかだけの違い。
これはスポーツでも同じです。何を意識して練習しているか。ただひたすら目の前のボールを蹴っているだけの子と、試合中を想定してシュートしている子ではサッカーの上達でも差が出るのです。
だから「できる子」ってスポーツもできちゃったりするんでしょうかね。
世間で言う「要領のいい子」。これこそがクラスにいる天才ぽい子の正体ではないかと思うのです。
これを無意識で出来ない人は意識してやるしかありません。そして一日も早くそれを習慣化して無意識でできるレベルに落とし込みましょう。
こういうものは可視化できないと言いましたが、実はそのほころびはいろんなところに出ています。たしかに私たちプロはそれをみつける力がある。しかしそれでも限界があるのです。意識の問題は最終的に自分で解決するしかない。
みなさんが変わろうと思わなければ一歩も前進なんてしないのです。
最後に
まず保護者の方に理解していただきたいのは「こうやればできるようになる」という勉強法は確かにあります。しかしそれを形だけ実践したところで中身を伴っていなければ意味がないということ。
詳しくは以下の記事をお読みください。
何よりも大切なのは勉強する本人の外には出てこない部分を変えること。それこそが「できる子」への第1歩。才能の差なんて言い訳をしている暇があったら今自分がやっていることは何なのか、もっともっとひとつひとつの動きに意識を向けましょう。
ということでこちらの記事をSOILの生徒に「役立つから読んでください」というメッセージつきのLineで一斉送信しようかなと思っています。
この記事が本当に役立つかは別にして、「勉強に役立つから最後まで読んでください」と私が言ったのに最後まで読まない人がいるかもしれない。
読んだように見せておいて読んでいない。つまり勉強しているようで実は何も学んでいない。
何のために塾に通っているんでしょうか?
結局変わろうと思っていなくて、変えてもらおうと思っている人なのでしょうかね。
成績を上げたくて、志望校に合格したくてSOILに通っているのに自分では何も意識して勉強できていない人。塾に通っているという可視化できる形式部分しかできていない人。
こういう子がいざというときになって「頑張っているけど成績が上がらない」なんて言い出すんですよね。
そんな生徒にはなってほしくないのです。
ということでこれを読んだSOIL生は以下のキーワードをLINEで返信してください。
こちらです。宗教上の理由で上記メッセージを送れない方、生理的に吐き気を催す方は最後の4文字は好きな文字に変えてくださいw
頑張っているというのはどういうことなのか。頑張っている風にだけはならないようにしたいものですね。
今日はこのへんで。
コメント
塾長は超イケメン!
いつもブログ読ませていただいております。本当は子ども自身が先生のブログ読むといいのですが、宗教上の理由(笑)で、デジタル機器はほぼ使わない子なので、代りに私が参考にさせてもらってます。
19/11/08アップの記事の中で
『世間で言う「容量のいい子」。』
という文章がありましたが、変換ミスのような気がします。
「要領のいい子」ですか?
もし、指摘間違いでしたらお許しください!!
我が家はいずれ消滅自治体にさせられてしまうような辺鄙な所(本当はとってもいい所。毎日川遊びできます。冬は川で氷割って遊んでますし。山でも遊び放題!)ですし、子どもも五人いて、それはそれでナカナカ大変で塾でお世話になることは、多分ありません。そんな中で、塾の先生方が書かれているブログは「(塾に行かせてやりたいという)憧れを糧にがんばる?がんばらせる?(←がんばるのは子どもではなく、私自身w)」ための燃料となっております。とは言っても、もう、上三人は大学生になり、残すところあと二人にはなりましたが。
そいる先生もお忙しいとは思いますが、ブログ楽しみにしておりますので、おからだには気をつけてお過ごしください。
ありがとうございます!
太字にしているところで間違えてましたね^^;
毎日川遊びとは羨ましい限りです。
お子様お二人の受験に何か役立てるものを書けるよう頑張ります。
今後ともよろしくお願い申し上げます。