どうも、そいる塾長です。
応用問題って何?
そもそも“応用”問題って何でしょうね。
コトバンクだと“応用”して解く問題とのことなんですが、その“応用”ってのが何なのか知りたいわけでね^^;
よく言われるのは教科書で習った基礎を組み合わせたり発展させた内容の問題のことですね。
であればしっかり基礎を勉強していれば手持ちの「道具」で攻略できる問題であるはず。ですがこれがなかなか難しい。
ということで今日はそんな”応用”問題を倒すために必要なことを考えてみたいと思います。
基礎を理解するということ
まず最初に大切なのが何よりもこれ。
基礎はこれから応用を考えるための「道具」です。
しかしこの道具がつかえないガラクタ、もしくは不良品だと困りものです。
そういう意味で「基礎を理解する」というのは「基本問題が解ける」のとは全くの別物。
例えば数学。方程式で「移項」なんていう「結果」だけをおぼえる学習方法では方程式の理解にはつながりませんし、「みはじ・はじき」なんてものを使って速さの計算をするのも同じ。そしてこれは高校になるとより顕著になります。「この公式に入れれば答えが出る」といった、思考の過程がブラックボックスになっている状態ではまず”応用”できる力にはならないでしょうね。
漢字や英単語の暗記だってそうです。先生の作ったテストに出る漢字・英単語プリントを必死で書きなぐって暗記している層と、辞書引いてその語義や品詞などに目を通している層であれば、同じように「漢字と英単語はおぼえた!」と言ったとしてもその理解度は全く異なるわけです。
ここら辺を深堀すると泥沼にはまりそうなので今日はさらっと2つのポイントを。
① なぜ?を大切にする
基礎を理解するために必要な意識としては常に「なぜ?」という思考を挟むことです。
物理の公式だろうが、日本史の歴史的事件だろうが常に「なぜ?」という気持ちで向き合うことが大切。
② 意義とつながり
そしてそれ自体とそれを覚える意義を考える。その公式で何ができるようになるのか、その事件が後の出来ごとにどう影響するのか。
因数分解をなんでこんな式変形をせないかんのや?なんて疑問を抱かないまま乗法公式を暗記して先生が望む形になおして何が楽しいのか(笑)
しかし積の形にする意味や後の二次方程式へのつながりを考えるだけでその理解は変わるはず。
そしてこういう(細かな)学習態度が少しずつ高校数学での学びに影響すると思われます。
この2点を意識することが基礎力を身に着けるために最も必要なことではないかと思います。
こうやって作られた「道具」はこの後の応用問題を解くための武器になるはずです。
しかし今日お話ししたいのはこの基礎内容を理解しましょうということではないのです。
習っていないは禁句
そして今回一番お話したかったのがこっち。
これが応用問題を解けるか解けないかに直結する気がしてならないのです。
塾で教えていると、ときどき遭遇するセリフ…
そんなん習ってへ~ん
小学生から高校生までみんな言いますね。
もちろん学校が無茶な進度で授業進めて試験範囲に全く習っていないような内容が出たりすればこんなこと言うのは仕方ありません。
でもSOILで禁止しているのは授業で私が生徒に「この問題解いてみて」って言ったとき。
ここで先ほどのセリフを言われると私が言うのは毎度毎度…
ですね(笑)
ずっと子どもたちに言っているのが、これまでに身に着けた”道具”を使えるような問題・単元ならまずは自分の手持ちの道具でやってみないと面白くないやん?ということ。
例えば初めて分数を学ぶ子に分数ってどうやって書くかな?とか言わないですよ。でも分数を学んで、小数も学んだ子なら分数⇔小数の変換はまず自分でどうなるか考えてみてほしいんですよね。
だからこないだ中2に一次関数を教えているときに、高1最初の難関である絶対値がついた一次関数のグラフ書かせてみたりね。この子たちはまだ3カ月しか教えていないけれどもうすでにギャーギャー言うこともなく、とっても素直にグラフ書きます。当然間違えても全然問題ないわけで。
とにかく自分なりに何がどう変わるか考えてみる。思考を走らせて、鉛筆を動かして頭を抱えてみる。
こうやって初見の問題に対しうんうん唸りながら、自分が今もっている「道具」をメタ認知しながらあらゆる使用方法を模索しどんどん武器として尖らせていかないと”応用力”なんてつくわけがない。
「道具」を実践の場で使い倒すことで新たな方法を発見することだってあるんですよね。
生徒や保護者さんからすればテストの応用問題に塾でやった問題が出た!ってすごく大事かもしれません。そういう噂を耳にして塾を探しているかもしれません。
しかし本当に大切なのは「やったことのない問題が解ける生徒が何人いるか」ですよ。
入試でやったことのある問題が出るんでしょうか?
高校入試ならまだ何とかなる…かもしれませんがね。大学入試では無理ですよ。そのときどうするのですか?
こういった学習態度が応用問題攻略への道を阻んでいるような気がしてなりません。
本当に大切なことは何かをしっかり考えなければいけませんね。
量をこなすことは大切ですが危険でもある
そう考えると実践の場を多く設ける、つまり多くの問題に当たるということは応用力を身に着けるためにはやはり必要ではあるのですが、そうするとどうしてもあらゆる問題パターンを覚えようとする解法パターン暗記マンが誕生してしまいまうことも。
大量課題。これは本当に危険。子どもたちをただ目の前のタスクをこなすだけの作業員にしてします。こういう状況では、解けない問題は赤で解答を写し、よくて解法丸暗記。応用問題も一つの解法パターンとして覚えるだけになるのでいくつの問題を解いたことがあるのかという勝負になってしまします。
勉強が「量をこなすこと」になってしまう。
もちろんやっていくうえで出会った問題は暗記してしまうぐらいでいいのですが、何より大事なのは初見の問題を自分の力で突破すること。
そのためには「暗記した」ものが何かということは考えないといけません。
解法パターン暗記で危険なのは、言うならば「その問題が一つでスルッと解けてしまう道具」を獲得しようとすること。もっとダメなのはそれが「他には全く使えない道具」である場合ですね。
先ほど書いたようにその問題の答えが出る過程がブラックボックスになってはいけないのです。これだと初見の問題は解けないまま。
つまり今回のお話の目的である”応用”問題が解けるようになるわけじゃないということです。
しかしそんな「解法パターン」もしっかりメタ認知できていれば、同じ「解法パターン」を暗記したといっても別の次元にたどり着く可能性があります。
自分の手持ちの「道具」、つまり基礎力の活用を常に意識して演習すること。
これは「おぼえる」という感じではなく身に着けるといった感じ。まさに体で覚えるという感じでしょうか。
そのためには常に教科書で学んだ基礎という「道具」を問題演習でどう使っていくかを常に考えなければいけませんし、それは少なくとも解答や解き方を覚えたりすることではないですね。
なのでいつの間にかそういうことができるようになっている人は「天才」みたいに見えるんです。無意識に自分の解き方をメタ認知して応用レベルまで一般化できているといった感じでしょうか。
自分が天才ではないと思うのなら、まず大切になるのは未知なる問題と対峙し、頭と手を動かしながらうんうん唸る時間です。そのうえで解答に書いてある内容を自分で辿れるように勉強していく必要があるでしょう。
お願い
そのためにも学校の先生や大手進学塾の先生方にお願いしたい。アホみたいな大量課題はやめましょうよ。
基礎徹底のためならまだわかります。しかし青チャート夏休みに50ページって…。
少なくともその子の学校のコースから京大合格者一人いるかいないかレベル。そんな子たちがそもそのオーバースペック過ぎる青チャートの、しかも例題だけじゃなく練習問題まで含めて50ページって…。夏休みが何日あるか考えればもうその時点で彼らが問題とじっくり向き合うなんて不可能ですよね。少なくとも例題からうんうん唸らないといけない子たちなのに…。
これだと課題テストのためにとにかく解答暗記しようって思考になるのは仕方ないですよね。
こんなことをしているから一向に伸びない。一方で押しつけ課題から解放された高3が伸びるのは当然です。
量より質。これは学習時間のお話だけではないと思っています。もちろん学習の質を担保するのは難しいのは承知の上。それでもこういうおかしな方法を全生徒に押し付けるのはポーズにはなっても効果は生みませんよ。
まとめ
ということで具体的な勉強法は書くこともなく精神論で終わってしまいましたが、こういう目の前の問題との向き合い方を小学生のうちからしっかり刷り込んでいきたいところです。
高校生にもなると一度体に染み込んだクセはなかなか抜けませんからね^^;
ということで最後に大切なポイントをまとめておきますね。
- 初めて見る問題へのわくわく心
- 使いこなせる道具としての基礎力
- 自分の手持ちの道具で解けるという自信
このあたりの学習姿勢が最低限必要かと。
ということでこれらが身に付くように子どもたちと毎日格闘していきます。
今日はこのへんで。
コメント