今回の暗記しない英文法は比較構文。もっとも暗記しないといけない文法単元と言われる比較ですが、本当にその考え方で良いのでしょうか。
苦手な人が多い英文法の単元「比較」
比較が苦手な生徒って多いですよね。
で、ダメな先生はこう言っちゃう。
暗記するだけだから
なかには比較を授業で扱わず夏休みに自習って言った先生もいたなと。教えることがないからだそうです。この先生の英語への姿勢が透けて見えますね。
できねーから困ってるんだよ(笑)いやそりゃ暗記もせないかんのはわかってる。でも何のとっかかりも示さずにおぼえろ言うなら先生いらんから自習にしろと思うんですが。
てことで、暗記要素を極力取り除く考え方を身につけましょう。
と言っても暗記をしないわけではありません。毎度のことながら丸暗記ではなく理解を伴う暗記をしてみようよというお話です。
ですが今回の真の目的は、私が英語を学ぶうえでとても大切だと考えていることをお伝えすることなんです。それは…
そのイメージというか感覚を無視して無理やりに日本語をもとに考えてしまうと必ず”ずれ”が生じます。
このことを理解してもらうためにこの「比較構文」を取り上げました。
決して全構文を解説するわけではないので予めご了承ください。
熟語や構文の日本語訳は”意訳”であるということを知る
例えば、「Good Morning」。
どう考えてもこれって「良い朝」ですよね。
これは英語での朝の挨拶から日本語での朝の挨拶への置き換えに過ぎません。
こうやって世界で最も分かりにくい参考書である”学校教科書”で英語的な考え方を完全にスルーした日本語訳が迷える日本の子羊たちに刷り込まれていきます。
本来であれば「Good morning」の訳は「良い朝だね」であり、英語圏では朝は「よい朝だね」と挨拶する、と教えればいいだけなのにと思うのですが。
もっとその言語が使われる背景を教えなければいけないのでは?
英語ならではの考え方。これを英単語の暗記の時からしっかり指導していくべきかと。
無理やり日本語と英語を点と点でつなげるような教え方でなく、どこがどう違うのか、なぜ違うのかってことを論理的に線でつないで説明してあげなければ、その”ずれ”が理解できないまま進んでいき、英語がつまらないと感じる子も出てくるはずです。
だって他の科目は全部そうでしょう?全部ちゃんと答えの説明がつくじゃないですか。
もちろん言語なので例外は生じます。
前回のMEGAFEPSのお話しでもその点は触れておきました。
なおこの辺が気になりだした高3の頃から私は英英辞典を使い始めました。が、またその話は別のところで。
日本語と英語の「比較」の考え方の”ずれ”を理解する
実は「比較構文」も例に漏れず、教科書で学ぶ構文の日本語訳があまりにも日本語的すぎるわけです。
つまり、英語とその日本語訳があまりにかけ離れているということが、この単元を難しくしているそもそもの元凶なのです。
こうやって間に直訳を挟んであげると、点と点の間の橋渡しとなって線に近づいていくというわけです。
そうした上でなぜその直訳が教科書に載っているようなこなれた日本語になるのかを考えます。
点と点を線でつなぐようにしていくということです。
中にはそれだけですっと理解できて暗記する必要はなくなるようなものもあります。
中学の範囲では「look forward to ~」なんてそれじゃないですかね。「待つ」なんてどこにもないのになんで「楽しみにして~を待つ」なんて言われて納得できるんだ?と思うんです。しかしこれも直訳すれば「あ~、待ってるわ」ってなる感じじゃないですか?
この「楽しみにして待つ」という行為の英語的な感覚と日本語が持つ感覚のずれをことあるごとに自分の中に落とし込んでいく。これが大事じゃないかなと。
ただそれがぱっと考えただけでは納得できないほどのズレがあるようなものもあるわけで。
比較の構文で見てみよう
特にそれが比較構文では多いというわけです。
直訳というのは、ここでは単語から得られる最小限の意味の塊と考えて下さい。
実は比較構文を構成する単語だけを見ると難しい新出単語はほとんどない。
しかしそれらを組み合わさると、どうしても教科書にのっている「訳」にはならない、という感じです。
それはそもそも「比較」を表現することにおいて、日本語と英語に根本的な考え方の違いが存在するからです。
それは英語の「比較」において「差」の概念がより重要になるということです。
理解しやすいようにいくつか例を見てみましょう。
例1:「much more」と「many more」
中学校で比較の文章の強調は「very」じゃなくて「much」ですよ、なんて習うわけですがなんで?って思いませんでしたか?
この時点で実は比較は二つのものに生じる「差」を「量」としてとらえているということを学んでいるんですね。誰も教えてくれませんが(笑)
だからしれっと大学入試でこんな問題が出る。
これで①を選んで×にされ、そのとき初めてこの事実を知る人多数です。peopleがmanyかどうかを比較するときは「量」での比較ではなく「数」の比較ですよね。
だからその「差」を強調する場合、「much」ではなく「many」を使うということですね。
単純です。なぜ「much」が比較の強調に使われるかを理解すれば簡単ですがそうでなければこれも暗記ですね。ただしこないだの「avoid~ing」なんかに比べ非常に論理的な説明ができるところを暗記するのはどうなんでしょうか。もし次「people」じゃなかったらどうするんだと。
こういうのまで例文暗記でなんとなく理解するまでとことんやるんですか…?というのが暗記が苦手な人としてはモヤモヤするんですね。
こういった感覚を少しずつ理解していくと比較は簡単になると思うんです。
例2:「no more than~」と「no less than~」
これって基本ですが英語と日本語(訳)の距離がやたら遠いなと感じる代表格。
しかも助詞の「~しか」とか「~も」とか言われても伝わりにくいですよね。
ここでまず前提として理解すべきは「not」と「no」の違い。
「I do not have more than 500$」・・・①
「I have no more than 500$」・・・②
ちゃんと違いを説明できますか?覚えているでは駄目です。
ここでちゃんと説明できると応用力になり他の構文理解にもつながりますので。
さてでは①と②の意味がどう異なるかです。
しかしこれでは「more」が「less」になっても同じ訳になります。
しかしよく考えましょう。
「no more」ということは上向きの「差」を否定(つまりゼロ)しています、いいかえれば「勝ってはいない」という事ですね。
これってネガティブな言い方なのはわかりますか?
例文②を直訳してみましょう。「私は500$より少しも勝っていないお金を持っている。」ということです。
つまり、「no」が「more」の持つポジティブさを打ち消しているというわけです。
で最終的にこれをわかりやすい日本語に意訳するとネガティブな感じなので「少しも勝っていない、ちぇっ!」って感じです。感じですが。
そこから500$持っていることを喜んでいない⇒「私は500$しか持っていない」となるのです。
ここで「more」を「less」に変えてみるとどうなるか。
「私は500$より少しも負けていないお金を持っている。」となります。
こちらは「no」が「less」のもつネガティブさを打ち消しているのでポジティブな訳になります。
ネガティブな感じなので「少しも負けていない、キャハ」って感じです。
そこから500$持っていることを喜んでいる⇒「私は500$も持っている。」となるのです。
その点を無視して
「no more than~」は「~しか」
「no less than~」は「~も」
なんて覚えようとしても…ですよ。
例3.みんな大好き「クジラ構文」
ここでは「差」の概念とともに、「前提」という考え方が重要となります。
この文の基本構造は「A whale is a fish」と「A horse is a fish 」という2つの文の比較。
最近あまりうるさく言われなくなっていますが、「than」 はあくまで接続詞。
本来うしろには文がくるんですよ。その辺もしっかり理解しておきましょうね。
で、この2つの文を比較した時に「no more」 だと言っているわけです。
ここは先程と同じ原理。「差がゼロ」=同点。
ただし「more」というポジティブな言葉を「no」が打ち消しているので、「勝っているということはない、ちぇっ!」という感じが出ますね。
それを踏まえて直訳してみましょう。
「”クジラが魚であるということ”は、”馬が魚だということ”よりも勝っているということはない。」
ここで重要なのは「勝っている」とはどういうことか。
それを考える根拠が英語ならではの「前提」。この文には前提として話し手の主観が入っているのです。
それをわかりやすくするには例えばこれを中2理科「生物の分類」の問題だと考えましょう。
問題②「馬は魚である、◯か×か」
だからこの文章を使っている人は「まさかこのバカ(聞き手や読み手)でもさすがに『馬が魚だ』とは思っていないだろう」という主観に基づいた前提のもとでこの文章を使っているというわけです。
つまり2つの文には、比較の文にする前から前提として、内容の理解のし辛さで、すでに大小関係が生じているのです。
それをふまえてこの直訳をだんだん意訳していってみると…。
つまり…
つまり…
これを最終的にコテコテの関西弁から、”こなれた”日本語に直すと
ってなるわけです。
くどいな…(-_-;)
つまりは魚ではない分かりやすい例(馬は魚ではない)を引き合い(than以下)に出し、クジラが魚ではないということを強調しているということです。
こういった訳すための前提みたいな考え方を必要とするのはmay as well構文なんかでも同じ。
難しいですが一度そういう目線で構文なんかを見てみてください。もしくは文法書を読んでみてください。
こういうことを知らずに理解できるものではありません。
ですがそれをおさえると、なるほど「そりゃそうじゃっ」てなるかもしれませんね。
構文やイディオムで理解を伴う暗記が必要な理由
もちろんおぼえてしまっても良いのですが、暗記が嫌いで比較を諦めている人はこうやってなぜその意味になるのかを理解してやると、覚えやすいというより忘れにくくなる感じです。
数学でも定理や公式を丸暗記しても使えないというのと同じです。
そしてもう一つ何より大切なことがあります。
それは問題でそのイディオムや構文に出会った時。
普通なら、「あ、これ暗記したやつや!」ってな具合で立ち止まって思い出そうとする。
それがさっと出てくるまで暗記しろって言われるのはわかっているんですが、なんかそうやって機械的に式に数字を入れて何が起きているか分からないまま計算している生徒って悉く伸びないんですよね。数学も英語も。
しかし、直訳をはさむ癖がついていると、まずどんな文でもそのまま直訳して読み進めることが出来ます。直訳でイメージだけわけばいちいちキレイな日本語にする必要がない。
そこの部分を訳しなさいとか言われたらそりゃあ立ち止まって考えれば良い。
ですが、長文中で出てきたときなんてその構文の大きなところでの意味(イメージ)さえ取れれば良い。
クジラの構文ならそのまま直訳で「前と後は同じって言いたいんだな!」みたいにしておけば、いちいち立ち止まって日本語らしい訳にする必要がない。
これが日本語を挟まず、英語は英語のまま理解するということの正体です。
英語的な頭の動かし方ともいえるでしょう。これって英会話では当たり前でいちいち日本語に置き換えていたら話せるわけないですからね。
和訳と英作文のポイント
一方で直訳は、和訳問題では書いてはいけないのです。それはなぜかというと和訳は「日本語」にする能力だからです。英語はあくまで英語的な感覚で表現するわけでそれを1対1対応で日本語に訳を当てはめると「ズレ」る。それに文脈からも「ズレ」
もちろんイメージできても訳出できないと点数はもらえません。だからこれは英語の勉強だけをしていてはいけないんですね。日本語と英語の”ずれ”を意識して日本語をつくる力を身につけましょう。
英作文はその逆ですね。
英作文では、まず最初に”こなれた”日本語をいかに英語的な感覚で表現するか。これもイメージできるかが非常に大事かと。それがないとただ言葉の変換になってしまい「ズレ」たものになってしまいます。それはあくまで日本語を基準に英語を対応させようとするからです。
とにかく暗記する前に一度立ち止まって、「なんでこんな訳になるの?」っていうのは考える癖をつけましょう。大きく英語が変わると思いますよ。
今日はこのへんで。