最高の問題集の作り方【過保護なAIは教育を破壊する】

そいる塾長
そいる塾長

どうも、そいる塾長です。

前回の「間違えはあなたにとっての最高の先生」の続編。ちょいと書いたりなかったので(笑)。今回は間違えた問題に対し具体的にどうやってリアクションをすればよいかというお話。そして最後はAIを活用した教育についても一言。

 

前回のお話はこちら。

ということで、今日はまず「正解した問題に対する態度」についてのお話しから。

正解した問題に価値はない!?

極論を言いますとね…

テストで点数を上げたかったら、正解した問題には価値がないということを知ろう。

だってそれ、今やらなくてもテストのときに解ける問題でしょ?

もちろん正解した問題に全く意味がないとまでは言いません。あーだこーだ言いながら試行錯誤の上に解答し、それが正解だったならばそこで力がついたとも言えるわけです。

ですが、それならば、「テスト中あーだこーだ言いながら試行錯誤の上に解答すれば正解できた」わけでしょう?もしテストで同じように解くとするならそれを事前に解いていなくても本番同じようして解ける…はず。だからその問題を事前に解く時間は点数には影響してない…とも考えられます。

もちろん、そんなの解く前から分かっているわけではないし、そもそもそんな「あーだこーだ」言わないと解けない問題だったならはテスト中時間が無くなる可能性がありますのでやらないわけにはいけません。

ということでここで一つ提言を。

こういう問題をそもそも「正解」として処理すること自体がよろしくない。〇か×しかつけちゃいけないって誰が決めたんだ?

 

宿題の丸付けをするとき〇と×しかつけてはいけないと誰が決めた?

あーだこーだ言いながらなんとか正解にたどり着いた問題に、私なら少なくとも正解として丸なんてつけない。どちらかと言えば間違えた問題と同じように処理します。

あ、これは自分が勉強するときはもちろんですが、生徒の指導においてもです。

なぜなら先ほど書いたように例えばテスト中時間が足りなくなってできない可能性があるからです。

テスト前にやるべきことはそれをスイスイ解けるようにすることです。そこまでしないとテストでは点数にならないのです。

高校になって数学が苦手な文系の子が良くやってしまうのがこの間違い。解けたからOK。

いや、それではダメなんですよ。本番は解ききれない。理想は学校の宿題で出されるような問題なら正直見た瞬間手が動きは決めるくらいにはならないと。

では何も気にすることなく「最初から」スイスイ解けた問題に価値はあるのか?

となると少なくともテスト勉強をする上ではない。と言ってもいいでしょう。丸をつける時間すらもったいないとは言えないでしょうか?

あなたが問題集を解いて勉強をしているときは決してテストの採点をしているのではありません。解いたあとにやるべきは何点とれたかを確認することではなく、何が理解できていないかの分析。であれば〇でも×でもなくもっとマークを細分化すべきです。

例えば△はミス関連にする。がっつり間違えた問題は×で、逆に自分がこれはテストまでに超重要だと考えるならそれには◎を付けるなどすればいいのですよ。もうこの先解く必要がない問題の番号は私は消します。

生徒によっては付箋を貼って何が問題なのかそのとき気付いたことを書き込んだり、ノートの右に空白を作っておき、そこにコメントを書いたり…。

問題集を使った勉強法としては問題を解いている時間ではなく、これをやっている時間が勉強ではないですか?

こういった丸付け…、もとい、マーキングこそがあなたにとっての「最高の問題集」作りには欠かせません。

 

問題集は選ぶよりも作る!?

 

 

お母さんの間違った問題集選び

絶対にやってはいけない問題集選び。それはすべて簡単に正解してしまう問題集。

わ~い、いっぱい正解したね!えらいぞっ!

でも”えらく”なってないからね。

それは解く前の段階を褒めているにすぎません。もしくは持てる能力を用いて与えられたタスクを作業としてこなしたことを褒めただけ。

例えば百マス計算ならその作業こそが基礎力強化が目的なので正答率はもちろんですがタイムが重要となります。こういった勉強なら全部正解して良いのです。

しかしテスト勉強のように自分ができないところを探さないといけないときに解けてしまう問題は必要ありません。

厳しい言い方をすれば完全なる時間の無駄。

自己肯定感を高めましょうとか、自己啓発が目的ならありかもしれませんが。

だから成績を上げたいなら、価値ある大切なものは間違えた問題。

間違えた問題を正解できるようにするから点数が上がるという当たり前に気付こう!

この当たり前を当たり前だと認識できない子が増えているような気がします。

丸が付かないと勉強していることにならないというおかしな学習態度。それはテストという学習の結果を判断するときだけで良いのですよ。

ということで問題集を選ぶ際に必要なのはその子に今最も必要となるものができるだけ掲載されていて、それを分析しやすい解説がついているもの、と言えるでしょうか。

はい…(-_-;)普通のお母さんには難しいですよ。その辺の本屋さんで平積みになっているから良い問題集?それは営業マンが有能なだけですよ。

とにかくアドバイスできるとするならばお子さんが嫌にならないレベルで正解し、かつしっかり今必要な問題は間違えてくれるような問題集です(むずっ!)

ま、まぁ、レベルさえ合っていれば何とかなります。

ただし、もしもお子さんを塾に通わせていないならそこからはお母さんが自らその間違った問題に対しての正しい態度を教えてあげてください。

 

では、最高の問題集とは

ではあなたにとって最高の問題集とは何でしょう?それは…

自分の間違える(であろう)問題だけが用意された問題集

これならどの問題を解けるようにしてもすべて力が付く、というわけですね。だってどの問題もあなたの「できない」を「できる」に変えてくれる可能性をもった問題ですから。

だからこそ先ほど書いたような問題を解いた後にマーキングしていくような勉強法こそが大切になります。

つまりどこにでもある普通の問題集を自分のマーキングにより、自分だけのやるべきことがはっきり分かる問題集に作り変える。これこそが世界で唯一の自分にとっての世界最高の問題集を見つける唯一の方法でしょう。

だからこそ、最高の問題集は選ぶのではなく作るのです。選ぶ際にはレベル選びだけ間違えなければそんなに大きな違いはないですよ。

しかしここで最大の問題が。そのためには当然自分で自分の勉強をしっかり分析する力が必要になります。テストを受けっぱなしでは自分の分析があっているかどうかもわかりません。

だからこそテスト後に自分のつけたマーキングが正確かどうかは確認しましょう。

例えばこれはもう解きなおさなくても大丈夫と判断した問題は本当にテストで正解できたのかというようなことです。

テスト後の勉強法はこちらをどうぞ。

 

「問題集は〇周解きなさい」の意味

良く学校や塾でワークは最低3周解きましょうみたいなのがあります。これは上で書いたことをもとに考えれば、当然1周目は自分の「できない」を探す分析のためにあるということ。

言ってみれば下ごしらえ。ここでテストにむかうとどうなるか…わかりますよね?

だからこその2周目です。ですが大体の子はこの2周目ではすべての問題は解決しきれない。だからこその3周目。となるわけです。

しかし当然そこで解決しないとするならば4周目やらなければいけないし、逆に1周目で問題が見つからないようなものを何周もする意味がありません。

だからこそあの「3周」は例です。何周やったらいいですか?と聞かれても困ります。それは自分で分析できるようにしなければ。

一方で、正しい勉強にむかう姿勢が身についていない子に、自分で分析してやってみようといったところで出来るはずがない…。だからこその分かりやすい「3周」指定ですね。

とあるカリスマ講師
とあるカリスマ講師

まずは3周くらいやってみなさい。そしたら反復する意味が分かるから!

こんな感じだと思います。

しかし、ダメな先生は回数にこだわりますよね・・・(-_-;)

なんででしょう?自分で分析できている、かつもう問題はないという子にもみんなと一緒のノルマを課す。これって勉強なんですか?と。なにか集団行動の練習でもさせているかのように感じます。これでは勉強なんてしたって何の役にも立たないと言われても仕方がないですよね。

 

自分で問題を発見し、自分でその解決法を探る能力

現在の世界では残念ながらあなたのためだけの世界で唯一、最高の問題集は販売されていない。というより存在しない。

だから自分で作るしかないわけです。ほんとはね。

しかしあえて言うなら塾のオリジナルプリントはそういう問題集に近いでしょう。生徒のレベルや必要としている内容にそくした問題をピックアップしたものであり、汎用性の高い市販教材や塾専用教材なんかよりも成績アップにつながりやすいというのはそういうこと。

もちろん(ちゃんとした)塾の先生は生徒自身が分析する以上に生徒の答案をみれば何が問題で何が今必要か分析できる。

私たちには授業などで生徒に示すことで生徒の分析能力や問題解決能力を育てる必要があるのです。間違っても私たちの仕事は間違っても丸付けをしてあげて正解を与えることじゃない。

これからはこの辺はAIがやってくれるんでしょう。間違えた問題をビッグデータをもとにその子の特性・実力・テストの出題傾向から的確に判断し必要な問題を与えてくれる。

すでにそれっぽいものができています。精度はカスレベルですが、そのうちすぐに人間よりも正確に分析が可能となるでしょう。

こうすることで私たちの仕事の無駄は省けるというわけで、それ自体は非常に役立つツールになるでしょう。塾をやっているものとしてはこんなに楽なものはありません。

ただこの点についてはひとつだけどうしても言っておかなければいけないことがあります。

 

過保護なAI

AIの登場で私たち塾屋の仕事が楽になるのは問題ない。今ですら教育ICTの技術により一昔では考えられない授業が実現可能で、管理能力も格段にアップ。間違いなく良い方向に動いていると思います。

しかし私はこれらEdTech産業が一つだけ絶対にやってはいけないことがあると考えています。

AIを、いやすべてのEdTech(エドテック)を、生徒が自分で何もしなくてよくなる方向に向かわせてはいけない!

”何もしなくても”…というのは自分の能力を発揮しなくても成績が上がる…みたいなことです。

例えば学習管理。今回お話したような分析や対応策の考案を自分でやらずにすべてAIに任せ、AIがやれという問題がひたすら印刷されそれをただ解けばテストで点数が取れますよと…。

これじゃあ本当にその教科の知識しか得られないと思うんですが本当にそれでいいんでしょうか?

これはAIだけの問題ではなく今ある塾の先生も同じ。大手進学塾が中学受験で…みたいな詰め込み教育の弊害が叫ばれて久しいですが、それと似た現象がここにはあるような気がするんですよね。

そこを上手くやらないと。子育てと一緒で塾やEdTechが過保護になっちゃいけないんですよ。

あくまで子どもたちの学習へのモチベーションを上げ、これまでの教育では取りこぼされていたところを補うものでないと。先生の能力不足を補っても子どもたちの能力不足を補ってしまっては子どもの成長を阻害することになりやしませんか?

その一例がこの自分だけの最高の問題集を作る作業。ここを塾の先生に任せたり、AIにまかせると確かに目先の”成績”は上がるかもしれません。ですが過保護になってしまい生徒の思考が挟まる余地がなくなると…もっと大切なものを失うことになります。

「AIが出題する問題を当てる」なんてことを堂々と話している人をみたときこの人はAIを使って何がしたいんだろうと思いました。それは教育ではないでしょうよと。

教育ツールとして便利なものが生まれれば生まれるほど生徒は楽になり…そしてバカになる。自分で自分の間違えを分析し自分に必要なものを考え対応策を生みだすなんてことすら永遠に不可能に。

勉強というのは科目の知識を得ることだけが目的ではない。「学び方を学ぶ」ということこそが将来本当に役立つスキルではないでしょうか?

そこを奪い取られて成績だけが上がった人材。AI全盛の時代にそんな人材が必要とされるとは思えないのですがね…。

 

ということで皆さんには「最高の問題集」の自作をオススメします。

自分の間違えた問題に正しく向き合い、自分を自分で分析し、どうすればそれを攻略できるか。そこに勉強の面白さと自分の成長につながるものがあるはずです。

 

今日はこのへんで。

コメント

  1. […] そいる塾長の種まき学習法 […]